2007年10月6日更新

ビッグマウンテン・レジスタンス運動30周年記念集会 (ディネ語から英語への翻訳担当 バヒ・ Y・キャトニー) 基調演説

ポウリーン・ホワイトシンガー(ビッグマウンテンの長であり、抵抗運動のリーダー)

こうしてお集まりの皆さんにお話をさせていただ く機会を与えていただき大変光栄に思います。大勢の子供達、地域の親族が訪 れてくれたこと、そしてここにこうしてお集まりの皆さんにお会いできて光栄 なことであります。

私は他国からも先住民代表の方々がここに御来席 いただいていることも知っております。今この時、この上ない感謝の辞を述べ させて頂きたいと思います。

私のことは忘れさられたのではないかと思い始め ていました。この地域の人間として、我々仲間がお互いに会うことが最早できないという嘆かわしい時代なのです・・・

今日ここで皆さんが語る記憶の数々は、我々が持 つ知識をつなぐ長く、果てしない一本の綱であるかのように思われます。その 思いは本日の皆さんの様々なお話を拝聴させていただいているうちに私にもた らされたものです。今ここにこうして我々が集うきっかけとなる事は30年前 に起こりました。当時、激しい闘争となった事件がありました。そして当時私 が係わったその事件を皆で追想し祝うことこそが本日の目的であります。近頃 では、ここで、30年前に自分がしたことの成果についてずっと気をもんでい ます。何もかも忘れ去られたのでしょうか、それとも私の行動が全てひとえに 自分の為でしかなかったのでしょうかと。

30年前には我々ディネの地域の仲間達もまだた くさんこのあたりに居て、この地はその人々で占められていました。多くの女 性、男性、そして若者達がいました。強制移住に対する抵抗運動が始まった頃 には我々のその運動の仲間に若者達も大勢いました。しかし、抵抗運動が始 まってしばらく経った頃、この地に残った仲間だと思われていた人々の中には、 移住で得られる利益のことを話しだす者も現れ始め、そういう者たちは皆この 土地を去ってしまいました。そしてこの地に残ったのは、基本的に置き去りに されたり、強制移住の利得を拒んだ老人ばかりとなって、今では全員が亡く なってしまいました。もう抵抗する我々の間には、立派で賢明なる仲間 の女性も男性もいません!彼らはもはや私たちと共にはいないのです。時に はこの地をじっと見渡し、今はもういない先祖の長老達がかつて旅をし家畜を 群れさせた場所がどこかもご存知でしょう。こういうことを考え始めたとき、 それらは強烈な記憶であり、深い悲しみを感じます。これこそが私達に残され たことなのです。

このように、私としての話をしましょう。

私には娘方の孫たちと息子方の孫たちがいて、ひ 孫も何人かいます。それでも私がここに住み続ける限り、私の周りには誰も身 内がいないように見えるかもしれません。私の子供達は本当にいろんな困難に 直面しており、それは私の人生の一部でもあります。しかしながら、私の人生 の別の目的は、過去に私がとった行動と同じように、今日のこれらの発表を通 して語られています。以前に一度同じディネの仲間達とワシントンD.C.に行きま したが、その旅の仲間と今日再び会うことができました・・・ワシントン行 きは当時行った活動の一例です。私にはロバータ・ブラックゴートというクラ ン(氏族)上の姉と、共にこの地で生きてきました。彼女が亡くなっておよそ 3年が経とうとしています。本当に一人きりになってしまいました。 けれど、 彼女の子供達はまだこの地を訪れたり滞在したり、時には私のところにも来て くれます。彼らとの会話は私の存在に不可欠なのです。

さて、私は今日のこの集いの目的について更に詳 しく皆さんにご説明させていただきたいと思います。この地で、まさにちょう どこの場所において過去に多くの重要な会議が催されました。また近くでも別 の大きな集会がありました。お気づきでしょうが、 あちらに20年前に建てら れた円形の建物がありますが、あれは会合を持ち続けるという我々の絶え間ない 努力の象徴であります。さて、今日のこの集いこそがこの特別な場所での初めて の会合なのです。 我々の抵抗運動そして私の30年前の体を張った抵抗運動と はこの母なる大地という、大いなる存在の為にあるのです。我々、そして私は 明言しました。もとより、”我々は母なる大地と共に在り続ける!“と。私 は、それから、30年前の自分の行動は正しかったと明言します! 我が同胞、男 性も女性もが聖なる石をこの地の全ての聖なる場所に捧げたというディネの歴 史を私は知りました。この知識 を携えた私には、BIA(合衆国インディアン局) が大地の上に鉄条網を張り巡らすことは、聖地の冒涜にしか思えませんでし た。 鉄条網を張り巡らす工事で木々は倒され、岩は粉々にされていました。昔 から、経験を積んだ賢者である長老は、捧げ物をする聖なる場所をそのように 乱暴に扱うなどということを許しませんでした。そのヒーラー達が亡くなって 久しいですが、彼らの残した教えの数々は今も非常に重要だと私は思います。

ですから、私はあちらの円形の建物やキャニオン の縁にある小さな石造りの家のように我々の存在を象徴する別のものの実現を 勧めたいと思います。そして将来ずっとそれら象徴するものが必ずそこに残る ことを確信します!我々は会合を続け、これらの象徴は決して破壊や撤去は決 してさせません!今の状況としては、私は行動を起こし、この大地を守るため 声を上げ、大地は勝利を得ました。我々は再び再会し、今日のこの特別な集い を持つことは、その勝利のひとつなのです。 大地は勝利し、我々に勝利を与え てくれました。30年前に私が始めた抵抗運動は私の先祖、そして地域の仲間 達のための勝利だと考えます。 他の人々がそのことについてどう思っているのか はさだかではありませんけれども。当時も私はここに暮らしていましたが、孫 はいませんでした。今は全てが変わり、ひ孫もいます。

この先どうすべきなのでしょう? もう我々はよく 知らない人々に対して指をさすことはやめなければなりません。我々は 度々”ホピが!”という言葉を聞きますが、それは米国政府がここに持ち込んだ計画なの で、ここでいうホピの人々はその政府の考えに沿って従い、導かれているだけ なのです。私はホピの人々について悟ったことがあります。 つい最近私は(ホピの村の一つでホピ族部族政府がある)キコツモビに行きま した。ホピの人々は私が何者であるかなど気にしていないと思っていたのです が、数人が私に近づいてきました。彼らは「あなたの所で会合があるって聞き ました」と言いました。わかりますか?彼らはこう言ったんですよ、「あなた の所で」と。彼らは「ホピの土地で」とは言いませんでした。この人たちは来 るべき会合、今日のこの会合のことを聞いて大変うれしそうに見えました。そ れから「誰かが車を出してくれるなら私たちもその集会に参加したい」とも言 いました。さあ、子供達、孫達、父方の親戚の皆さん、そし ていつかは歳をとる甥や姪の皆さん聞いてください。皆さんを私の子供だと 思ってお願いします。我々の住む先祖伝来のこの土地を「ホピ族に分割された土 地」だと呼んだりしないことを。そのかわり、この土地に対して謙虚な心を持 ち、祈りを捧げ続けましょう。

それがここで走り回っている小さな子供達の為に 大事なことなのです。今日は他の人々と未来の世代について話しました。 そ れに年配の親族の一人が「わしらはディネ語という言語を失いつつある」と 言っていたのも聞きました。まったくそのとおりでしょう。「ディネ語を話すの はもう自分だけでは」とさえ思えます。私の孫達がディネ語を話せないのは嘆 かわしいことです。孫にディネ語で話しかけたら、彼らは肩をすくめるだけ で、コミュニケーションがとれませんでした。この土地のものとして、ここに集 うものとして、我々は「コヨーテと共に行く」のような昔からのストーリーテ リングという方法を利用すべきではないでしょうか。そうして小さな子供達を 我々のもとに取り戻すことを考えるべきでしょう。彼らを集めてこういった昔 話を聞かせてあげましょう。少なくとも2つの施設をそのために設立するので す。その他にも「えり分けた靴」で知られるゲームも教えれます。子供達はこ れらを学び、いずれディネ語を学びなおす道へとつながるでしょう。

伝統的な観点からすると、近頃の若者に対する心 配事の数々には胸が痛みます。皆さんも間違いを犯した若者だとか何かの事件に 巻き込まれた若者のことを耳にするでしょう。何度も同じような話を耳にしま す。そういうよくない事は誰の身にも、若い男性であろうと、女性であろうと その身に起こりうるように思えますし、きちんとしている者や正直者の身にも 起こるかに見えます。私たちが見たところ、彼らは普通に育っているの ですが、ディネの文化を理解せぬままに大きくなっていて、白人の文化、生き 方にのみ耳を傾けているのです。ですから、彼らはディネらしい行いをするこ ともできないし、ディネとして考えることもできないのです。私はこういった 傾向を逆転させ、ディネ語を復活させたいと強く願います。私は皆さんと共 に、我々の努力をサポートしに来てくださった皆さんと共に、この願いを分かち 合いたいのです。学生達の休暇の時期を利用してナバホラグの織・毛梳き・糸 つむぎ・織機製作といった技能の更なる向上を手助けしたいと思います。ディネ語復興に向けた古くからのストーリーテリ ングと自給自足の技の両方を活用するこのような方法の成果は我々と大地との 結びつきを強くするでしょう。

私の祖母はかつて一度、どのようにストーリーテ リングが伝えられたかと話してくれたことがあります。彼女は、「コヨーテと 共に行く」や「ゲームボールを叩く」の話は、冬が来たら、つまりとうもろこ しの茎が凍った後でないと話してはいけないと言いました。昔の人たちはそう いった決まりごとを非常に厳密に守っていました。(なぜこれらの話が神聖な ものであるとみなされるのか説明させてもらいましょう。)まだ私がずっと若 かった頃、ある旱魃の時期に私の属するクラン(氏族)上の祖母が訪ねてきま した。やりきれないくらいものすごく暑い日でした。私たちはトウモロコシ畑 の横でキャンプをしていて、祖母は到着すると、大地がとっても熱いので足が 焼けそうだと言いました。ちょうど焼きたてのプレーリードッグ2匹分があり ました。祖母は私たちに大きい方をおくれと言い、それから私たち皆に座って 私の言うことに耳を傾けなさい、そしたらお話をしてあげるからといいまし た。その日は真夏だったけれど祖母は「コヨーテと共に行く」の話をして、そし てこのお話は真夏にだけしてもよい話だと言いました。祖母が話し終えるやい なや、涼しくなったと思ったら大粒の雨が降り始め、至る所にとびはねまし た。私たちは大雨に見舞われ、祖母は水浸しの道を帰っていくことになりまし た。これらのストーリーテリングは正しく行われれば神聖なものです。私はそれ を目撃したのですから信じています。私は「コヨーテと共に行く」の話を用い ることによって人は冷静さを保つことが出来ると信じています。だからこそス トーリーテリングは神聖なのです。それを説明すべきでしょう。

私の努力の究極の目的とは、この大地、この土地 の存在なのです。我々はこの大地に根ざした儀式のしきたりを通じ て、今再びこの大地の一部になり得たいのです。我々を導くものとして、その 正しい儀式は絶大なものとしてこの大地の上に存在するのです。誰がそう望まないでいられましょうか? 私たち は皆大地の一部なのです。 例えば、羊追いに出かける前、足に触れて祈りを 捧げるでしょう。「草を食む羊達が美と共に在りますように、そして私が自分 の足で俊敏に動けますように・・・。」このように私たちは自分の足に語りか けます。このような事柄が若者達を正しい道に導く良い教えとなるでしょう。

これらが皆さんと分かち合いたかった話であり、 これ以上付け加えることはありません。今日、皆さんはこの式典の目的につい て多くのことを聴きました。我々の子供たちがディネの言葉や教えを習得する 環境を整えることが今最も大切なことなのだと、私が指摘したことを覚えてお いて頂きたいと繰り返し願います。現在我々が直面している抑圧を恐れてはい けません。

ホピの人々に関して一つ重要なことを忘れてはい けません。数人のホピの人々が私に近づいてきて「私のおばさん、おばあちゃ ん、お母さん。」と私を呼んだことを皆さんにお話しました。彼らは額に汗し ながら私に走り寄って来ました。「なんて素晴らしい。」と私は答え、お互い 腕を抱き合いました。こういうホピの人々は私たちの土地に現れる「棒に火を つけ、燃えさかる棒で私たちを打ち始める」かのような他人(編注:部族政府 に雇われたレンジャーのことだと思われる)とは正反対です。敵対的な行動は対立しか引き起こさないのは明ら かです。ゆえに、昔のようにホピの隣人達と共に生活することに何の問題もあ りません。

今、再び我らのディネの若者たちを見て、彼らが もはやディネ語を話さないということを覚えておきましょう。大昔のストー リーテリングを分かち合うことが我々を助けてくれることを覚えておきましょう。

我々は政府に「選ばれた」指導者に対して責任を 持っていることをということも自覚しましょう。以前私は無理やり投票させら れました。そして責任を取らない「選ばれた」人を生み出すのは間違っている ということを学びました。私の投票によって選ばれた者は誰一人として私の一 票に応えてくれなかったし、私の土地で行われている土地問題の集会を認識し ようともしませんでした。最後の方の話は今ここで皆さんに特に強く、強調し ておきたいと思います。

最後の締めとして、30周年を祝う記念すべき今 日この日の実現を可能にしてくださった皆様に私から最大の感謝の意を示した いと思います。ここまでご足労いただき、共に過ごしていただいたことは感謝 にたえません。そして地元ディネの皆さん、参加しに来てくださってありがと う。私は今日朝からずっとここにいるので、もう休まないといけないし、しば らくしたら家に帰ります。では以上で、私の発言を締めくくらせていただき ます。

(日本語翻訳:スハラ・デイビス・ヨーコ)