足下にあるビッグマウンテン〜上関原発問題〜 文:山口晴康 |
上関(かみのせき)の海は、僕が永年通っているナバホ、ホピの聖地ビッグマウンテンと同じ、その圧倒的な美しさと同時に、悲しさが存在するところだった。手つかずの”自然”、そこに”生きる”人々。共同体に持ち込まれた”分断”や”対立”。それでもその地を守ろうと生命をかけて立ち上がる男や女、長老たち。
子や孫のために 6月20日、日の出を見ながら、有志カヤッカー5人、4挺で海に出る。ボーリング用調査船のおいてあるところまで漕いで行く途中、少し沖合いにスナメリクジラの群れが現れた! 何頭くらいいたかなあ?5〜6頭が見隠れしながら、僕らとは反対の方角に泳いでいった。出迎えてくれたようで、 うれしい! 僕が育った瀬戸内、赤穂の海にも住んでるけれど、ここみたいに水がきれいじゃないし、全国的にもその姿は減る一方だという。しかし唯一この上関周辺だけは、その数は変わっていないと、後で貰ったパンフに書いてあった。ここは豊後水道からの黒潮が流れ込んでいるせいか、本当に、瀬戸内海とは思えないほど、水が澄んでいる。また自然の海岸も75%(瀬戸内平均は21,4%)も残っていて、カヤッカーには絶好の海。この日はナギだったからよけいにきれい。透明度は15Mもあるらしい。
そうしてるうちに、漁師さんたちが現れた。しばらくして、「今日は動きがなさそうだから、解散して、よかったら祝島に来ないか?」と言ってくれた。 5年振りに訪れたこの場所。前回はピースウォークで歩いてきたけど、まさか次は海を漕いで来ることになるとは(笑)、夢にも思わなかった。 ここは、まだほとんど何も出来てはいないが、鉄条網で囲まれた予定地はやはりビッグマウンテンを彷彿させる。中には大人くらいの大きさのホーン型の機械3機が定期的に24時間、不快な音を発している。これは大気中の何かを計る調査用の計器らしい。前回ピースウォークの時も思ったけど、これじゃあ、この辺りに住む生き物はたまらない。本当はここに住むハヤブサやスナメリなど、希少野生生物を追い出すためにやってるんじゃなかろうか?と勘ぐりたくなる。また、建設するのを前提としているのだろう、予定地の遺跡調査が始まっていて何人かが作業していた。後で聞いたら縄文、弥生土器、古墳時代の須恵器などが発見されているとの事。”あたりまえだよな! 予定地から見える祝島の集落は家の一軒一軒が判るほど近い。そんな天国の島に、ある日、目の前に原発が出来て、いくら安全だ、と言われても、そんな変化に人はついていけるのだろうか? 有史より昔から人が住み着いてきた島が、その生活の手段である漁場を失い、そして24時間365日様々な苦痛を強いられる。 僕の知っているビッグマウンテンの状況も、強制移住に同意させられてわずかな保証金をもらい、街に住んだ多くの人が、共同体から切り離され伝統的な生き方を失って以来お金を物や酒に変え、たちまちお金も無くなり、アルコールに身心を犯され、あげくに失意のなか自殺したり、病気で亡くなっていっている、と聞いている。 上関側の賛成している漁民や住民たちは、山一つでも離れている場所に住み原発が視界に入ることはない。あくまで危険性は、気にしなくてもいいと思い込めば、それですむといえば済む、と思う。でも、祝島の人たちは、最良の漁場が埋め立てられた上に出来る原発を毎日見ながら暮らせないだろう。 もちろん海にも放射能にも国境や県境はなく、「放射能は金持ちも貧乏人も差別しない。放射能は平等だ!」とは、一緒にピースウォーク歩いたシンガー、内田ボブさんの名言だけど。昔、中国の偉い人が瀬戸内を見て、日本にも大きな川がありますねえ!といったほど瀬戸内海は海峡のような狭い海で、だからこそ現在赤穂に住む僕にも人事ではないとの思いもあって、ここに来たのだけれど、やっぱり祝島の現状を見るにつけ、すごくリアルな思いを持つことが出来た。 夕方一人で予定地はずれの岬の岩場で、昨年のWPPD富士山での夏至の祈りを思い、ビッグマウンテンを思い、目の前にひろがる、スナメリクジラの子育ての海、ハヤブサの子育ての海、僕たち人間を生かしてくれる母なる海を思い、祈りを捧げたら、一羽の鳥が目の前を飛んで舞うように海を旋回した。 スナメリクジラもハヤブサも、みんなこの海の先住民。でも彼らの声は無視され、保証金も代替地も貰えない。ただ見殺しにされるだけ。 夜、島からやってきたオバチャンたちと一緒に、予定地上の山腹に建つ小屋に泊めてもらった。小屋といっても立派なログハウスで、電気はサスガ〜! このオバチャンたちの明るさ、強さもビッグマウンテンのバアチャンたちを思い起こさせる。30代、40代のぼくらなんかニイチャン呼ばわりで、パシリあつかいだったもんね(笑) 23年間毎週続けてる島内デモも900回を超えてるんだって。 シュラバもそうとうくぐってるんだろうな〜! 21日夏至の日、朝暗いうちに起きて浜に降り、セージを焚いてみんなとカヤックを浄め、自分たちも、漁師さんたちも、そして強行しようとする人たちにも事故が無いよう心で祈り、出航した。 天気予報では、雨のはずだったけど、相変わらずのカラ梅雨続きの瀬戸内で漕ぎながら夏至の日の出を拝むことが出来た。もうアノ台風直撃の中大きなサークルを作って”必死”で祈ってから一年か。早いような、もうずいぶん昔のことだったような、思えばこの一年自分には、激動の日々だったなあ! 待てよ!なんでいま自分は海の上にいるんだろう?ブラックヒルズにいるんじゃなかったっけ?それがダメになってやっぱり富士山で去年苦労を共にしたみんなとゆっくり今年は夏至を迎えるんじゃなかったっけ?あれ〜?いまから何が始まるんだったっけ?こんな平和な思いできれいな海を漕いでる自分はすごく幸せなんだけど、ひょっとしたら逮捕も有りうる、なんて誰か言ってなかったっけ? アレ〜〜?? これって一体夢の中のこと?? 現地に着くと、昨夜から調査船の周りを漁船で取り囲み、ロープを繋いだバリケードが出来ていた。50艘くらいあったかなあ。みんな船で一夜を明かし、緊張ではなくキンチョー蚊取りが無いため蚊の攻撃に悩まされほとんど眠れなかったみたい(スイマセン、ベタなギャグで)。でも、ここの漁師さんたちもオバチャンたち同様、23年間のシュラバのなかで鍛えられてるせいか、ぜんぜん動じてなかったなあ。みんな居眠りしたり、ビール飲んだりしながら、来るなら来い!って、なんか100戦錬磨の戦国時代の水軍みたいだった。たぶんここ上関は永年瀬戸内海上航路の要所だったところだから、この人たちは水軍の末裔でもあるんじゃないかな、って勝手に想像してしまうくらいカッコいい人たちだった。なかでも組合長の山戸(やまと)さんは、やさしさの中にドンとした存在感があって、なんかインディアンのビッグ・チーフを彷彿してしまう。アイヌ民族の歴史や、近隣アジア諸国のことを知るなかで、ヤマトという言葉には、いささか否定的になってしまう自分ではあるけれど、この山戸さんのヤマトには、なんか中学時代に”地球の危機を救う宇宙戦艦ヤマト、かっこいい!”と思ったとき以来、カッコイイ響きを感じてしまう単純な44才私です。(すみません、関係ないですね!) そのうち沖合いに海上保安庁の船が昨日とはうってかわってたくさん現れてきた。すごい大型の船から、ゴムボートにヘルメットかぶった黒ずくめの機動隊のような格好の人、またオレンジのウェットスーツにシュノーケルの、今話題の海上保安庁の救助スペシャリスト、通称”海猿”の人まで。 陸地には、反対派のグループや議員さん、自然保護団体、そして祝島のオバチャンたちが大勢やってきて、スピーチとかで盛り上がり、そのうち「海を愛するシーカヤッカーの人たちも調査阻止のため来てくれています!」なんてマイクごしに紹介され、拍手や声援まで送ってきた。”〜ヤバイ、これじゃあ、さっさと逃げられないじゃん!”って、だんだん事の重大さに気がついてきた。マスコミもいっぱい来てるし、そのうち各社のヘリまで5〜6機飛びだした。このヘリコプターってヨクナイよ!このバリバリバリ〜っていう音がいやがおうでも盛り上げるんだ、キンチョー感とかタイリツ感を! ヤバイ!映画、地獄の黙示録に使われてたDOORSの「THE END」が頭のなかで鳴ってきた。 ”THIS IS THE END・・・” そしたら、陸からシュプレヒコールに熱が入ってくるし、ホラホラみんな何か期待してナイ? 絶対マスコミなんか、イイ絵狙ってるよなあ〜! でも、その状況が続いても全然中電側の船が現れないから、みんなどっかで安心してたんだ。たぶんこの衆人監視、マスコミうようよのなかでは強行しないんじゃないって。海上バリケードもスゴイしね。 でも、甘かった、やって来た、水平線の彼方から大船団組んで。現れましたよ、調査船を曳航するタッグボート2隻従えて。双眼鏡でみたらけっこう来てたなあ。一応原則中立の立場の海上保安庁の船入れて、なんか水平線側は一個師団というか連合艦隊というか、って感じ。 こっちは、漁船50艘と、漂流物のようなシーカヤック4艇。 でも、正直に言うと全然キンチョーしなかった。なんでかな? また、ビッグマウンテン・ウォークやイヌー・インディアンの居留地に行ったウォークの時も大変な状況だったしね。でも、いまもこんな状況にいるって、ひょっとしたら好きなのかな?こんなのがって、イヤイヤ考えないでおこう!。 そのうち中電の人の乗った船が近づいてきて、調査開始と協力をお願いして来た。その度に、陸からのシュプレヒコールと漁船からの拒否の声。 一度遠ざかり、間を置いて繰り返される。その度にカヤックで突入を牽制するように、前まで出ていく。山戸さんから、前回の時は、3度お願いのアナウンスの後強行してきたと聞いた。三顧の礼を尽くしたが、聞き入れられなかったってところか? これも違う意味での、セレモニー?ですな。 そしたら、原発反対派の県議の人を乗せた祝島漁船が沖に出ていき、中電側と交渉に行った。一応何か動きが出るかなと思ったが、議員さんの「調査全面中止」の申し入れに対して、中電さんは、拒否! 本日実行を宣言。 3回目の中電からのお願いの頃から、だんだん緊張感が高まってきて、海上保安庁の方も、いつでもスタンバイOK牧場?。海猿の人たちも、いつでも海に飛び込み出来るよう、マスク着用!って、ほんとは暑さから一回海に浸かりたかったような気もするんだけど(笑)。 でも、なんかテンション高まってるし、こんなときになんかのキッカケで、衝突するとイヤダナ〜と思い、そうだ!漁船と違い伝馬船のような小回りのきくカヤックならではの役目があると気づき、保安庁実行部隊に近づいて、笑顔で「ごくろうさま(ニコッ)です。ごくろうさま(ニコッ)」とあいさつ回りに精出した。なにごとも挨拶が基本ですよね。向こうも「気をつけて下さいよ(ニコッ)。あまりムチャしないようにお願いします(ニコッ)」 海にいる間中、富士山やいろんな場所で、また時差はあってもブラックヒルズをはじめ世界中で夏至の今日みんなが祈っているのを感じていたし、絶対流血の事態にはならないって確信はしていた。そしてここで自分も祈りから離れて対立にエネルギーが入ると、それは違う!と思っていた。 そりゃあ、だんだん事態がひっ迫してくるし、僕も一応男だから、つい「今日は死ぬにはいい日だ!ホッカ・ヘイ!」となる気持ちもナイではなかったけど、やっぱり去年台風直撃の夏至の祈りで、どんな状況でも調和を保つ、という事を学んでいたつもりだから、すごく冷静に、また感情的にならずに済んだ。 4回目以降は、中電側がいよいよ強行する旨を伝えてきて、タッグボート2隻と一緒に向かって来たから、それぞれカヤックも進路の前で行ったり来たりガンバった。タッグボートもなにもかも、カヤックよりは圧倒的に大きい船ばかりだから、ひょっとしたら接触して海に投げ出される、そんなオイシイ場面もあるかなあ?とも思った時もあったけど、何故かインディアンの歌を歌う余裕?もあったりして、本当に気持ちはネガティブに乱れなかった。 時々、ほんとはグレートスピリットの名前をこころの中で呼んでたけどね。 そして時間が過ぎていって作業が出来ないことを理由に、今日は中止します、と発表があったときは正直ホっとした。けど、原発建設が中止された訳ではないし、明日以降作業再開が予定されてるんだから、あらためて祝島の人たちが23年間この奇跡のような美しい海を守ってくれていることに、尊敬と感謝と、同時に、申し訳なさを感じた次第です。 山戸さん曰く、明日また来るだろうけど、自分たちもいつまでも漁を休む訳にもいかない。また明日は葬式も出ないといけない。でも来たら見過ごす訳にもいかない。有志で集まって出来る限りのことをするしかない!。 海にいるあいだ自分の娘の顔が時折浮かんできた。 インディアンの人たちのいう7世代先は、ちょっとどんな子孫がいるか想像も出来ないけど、自分の子供のために、って思うと、やっぱりこの海を残したいと強く思った。 例え二日でも行けて良かったです。今回カヤックは少しは役にたったと思う。ぼくはともかく上手い人は、ほんとうに上手に馬を扱うインディアンのように、自由自在に駆け回っていた。もし、もっといっぱい、例えば数十から100艘くらい集まったら、それだけでも壮観だし、色とりどりでとてもピースで美しい思う。元々北方海洋民族の船だから、姿も、スゴクいい! 調査のボーリング作業だけでも、この美しい海は大きな影響を受けると思う。しかし、原発が出来てしまえば、この残された瀬戸内最後の自然はもう取り返しがつかないだろう。そして万が一事故が起きれば瀬戸内海全域は、放射能で汚染される死の海になってしまうと思うし、瀬戸内くらいじゃとてもすまない。 そうなる前に、ぼくたちも、出来るかぎりのことをするしかない。 どうすれば対立を超えて、調和のなか、解決がもたらされるのか。 あらためて思ったけど、対立してる状況は、平和じゃない。それはビッグマウンテンも然り。敵対してるエネルギーは、次の敵対しか生まない、と思う。 もちろん原発は出来て欲しくないし、造らないで欲しい。反対している祝島の漁師さんやオバチャンの声は、こころに響くし、ウソが無い。電力会社の実態も知れば知るほど腹が立つ。原発賛成してお金もらった人たちが、自然保護やってる人が町を通ると、人殺し!って声かける話には、怒りを通り越して笑ってしまう。しかし、そんな対立を超えて、双方が笑顔で大きな輪をつくれる日がやってくるのだろうか。それはいつかはわからないけれど、去年の夏至の日に富士山に集まった多くの人やエネルギーが結集したような、そんな人間が作り出す知恵と力で解決できるような気がしてならない。 来年の夏至までに事態はどう変わっていくかわからないけれど、また機会ある毎に上関の海に通い、海の上漕ぎながら考えていこうと思う。 2005年6月21日は、自分にとって、とても素晴らしい一日でした。 つながるすべてのいのちに、 ミタクエ・オヤシン!! (ハル)山口晴康
双方の無事を祈ります。 詳しくは、祝島漁港ホームページをご覧ください。 夏至を聖地への祈りの日としよう、と呼びかけている いまだ続けられるインディアン強制移住と聖地ビッグマウンテンを守る長老達のレジスタンスについては、 広島原爆の残り火を持って20世紀最後に東京から、広島、長崎まで歩いたひろしま2001〜ながさきピースウォークについては、 |