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CHIEF・CROW DOG 来日行程報告(1)

Leonard Crowdog(レナード・クロウドッグ)

●Leonard Crowdog
  (レナード・クロウドッグ)

 1942年ラコタ(スー)のクニ(サウスダコタ)、ローズバツドに生まれる。シチャング・ラコタとして初代から数えて4代目のメディスンマンでありチーフである。初代クロウドッグは19世紀レッドクラウドやシッティングブル、クレイジーホースらと共に偉大なるスーのクニ(GREAT SIOUX NATION)に生きた人物であり、ゴーストダンスをラコタに広めた中心人物として、そして歴史の運命により同じ部族のチーフ、スポテッドテールと戦い死なせてしまったことでもアメリカインディアン史に名を残している。先代クロウドッグである父ヘンリーは南の部族より伝わったペヨーテ信仰をラコタに広めた人物(new wave)であり、また古代からの知恵を保つ長老(traditional elder)として '60〜'70年代AIM(American Indian Movement)の若き指導者、デニス バンクスはじめ、多くのインディアンたちにスウェット・ロッジ、サンダンスなどの“赤い人の生き方(REDMAN'S WAY OF LIFE)を教えた。その父の下、当時のインディアンとしては不可能に近かった一切の白人教育を拒否し、伝統的な生き方のなか育てられた。AIM草創期にデニスや他のリーダーたちに請われて、AIMの若き精神的指導者となる。'73年のウーンデッドニー占拠の時も銃をいっさい手にすることなくパイプの道に身を捧げた。

 '78年Longest Walkの時も、'80年Long Walk For Survivalの時も、その運動の精神的支柱として、そして現在に至るまで、地元クロウドッグパラダイスをはじめ、ディネとホビの聖地ビッグマウンテン、時にはカナダ、メキシコでもサンダンスを指揮し、レナードペルティアを支援し全米各地で起きるさまざまな問題と戦っている。いまや全部族のインディアンはもとより、全米、そして世界中より精神的教えを求めてやってくる多くの人より“チーフ”と慕われリスペクトされている。'98年10月来日し各地でセレモニーを行った。

 

●CHIEF・CROW DOG来日そしてそれから…

 '98年10月20日無事チーフが関空より帰国されてから、今回のツアー同行記的なものを書きはじめ、当初の来日予定が二転三転したことの事情も含めて僕なりに間近で見て聞いて体験したことをすべて書き綴り、報告とさせてもらうつもりで筆を進めていました。その後、11月はじめの連休の時、これもチーフのツアーの縁で東京にてレインボーパレードに参加、代々木公園で二日間ティピを張って、ビッグマウンテン、ペルティアの現状伝えるブースを出していたところ、サワさんより日橋さんが入院先の帯津病院で少し気がめいっているということを聞き、皆で帰りにお見舞いにいくことにしました。

 ご存じない方のため、少しいきさつを説明しますと、日橋(通 称ニッパチ)さんという、もう20年以上アメリカ・インディアンと共に連帯し闘ってこられた人が、この年、('98年)明け医者より、肝臓ガンでもって3ヶ月と見放され、以来自宅治療を続けていました。7月には自からの誓願であるビッグマウンテンのサンダンスに出向き、4日間断食の末、7度目のダンスを踊りました。しかしその後体力は徐々に低下し、たまった腹水を抜くため、日本における代替医療の先端である帯津病院に一時入院しました。丁度その頃チーフが来日するという知らせが入り、僕たちにはまさしくグレートスピリットのお導きであると直感し、来日初日の夜、日橋さんの病気治療のセレモニーをお願いしました。本来くるはずだったセレモニーを助けるシンガーなきなか、それでも引き受けていただき、4日間にわたるラコタインディアン伝統のセレモニーを、日橋さんの住む長野、望月町のゲンさん、おケイさんのところで、駆けつけてくれた遠方、地元の大勢の友人と共に行いました。そして精霊の世界から来てくれた28人のスピリットにより、病は癒され、そしてあと20年は生きるだろう、と告げられたのでした。そこに居会わせたもの全員、涙をながして喜び、そのGOOD NEWSはまたたくまに各地の友人知人に広まり、その奇跡はチーフ来日最大の出来事として今回のツアーに協力していただいた多くの方々、都合で来れなかった大勢の方に報告しようとしていたその矢先・・・・。

 それでもなんの疑いももたず少しづつ良くなっていると思いながら病院に向かいました。半月振りに会う日橋さんは少し疲れている様子でした。普段山あいの静かな古い大きな家に住んでいるので、帯津病院とはいえ入院はつらいらしくいろんな音が気になってあまり寝てないらしい、と聞いていたので、精神的な面 で少し疲れているのだろうと思い、チーフの日本での思い出話やそれ以降のことを話したりしました。日橋さんから、“最近は少し眠れないのでまいっているが、検査の結果 、ガンは少しづつ消えて!いる”と聞かされ、「スピリットが守っていてくれるから、チーフも少しづつ良い方向にむかうといってたから、心配ないよ。」と、答え、そして来日時のチーフの写 真を渡し、玄関先まで送ってもらい別れました。

 12月はじめ、丁度母親の三回忌を終え実家にいた時、日橋さん危篤の電話が入り、急遽ビッグマウンテンの仲間のアツシとリオイ、カオリコと娘リョオをつれて夜半に車を走らせました。途中大きな神社の森にてサンダンスパイプに火を点け日橋さんの無事と加護をスピリットに祈りました。その時ももちろん無事を信じていましたが、自分自身がそのことに安心して、スピリットの加護のみにまかせきっていしまい普段自ずからが日橋さんの回復を日々祈っていたかどうか、そのことに思いが及んだとたん、大きな後悔の念に駆られました。そして改めてチーフとの日々が思い出されました。セレモニーの時、ユイピマン(スピリットを降ろす人)となり毛布とロープでグルグル巻にされたチーフが自ずから告げた言葉、“スピリットは皆の祈りに応じてやって来る、皆の祈りを聞きにくる。皆の祈りが一つになりそれが具体的な想いとなって、スピリットは力を発揮する。”病院に着いた朝、まだ日橋さんの意識はありました。時々昏睡するも、皆の祈りが通 じたのか、何回か意識は戻り最後までまわりを笑わせながら、翌12月9日スピリットの世界へ旅立っていかれました。61歳でした。

 同行記途中で止まったまま、日々日常に追われ、しかし片方でチーフの来日よりつながったり、再確認させられた人の縁や出来事が具体的な形となって動きはじめました。一つは“虹のまつり”のこと。大月でのセレモニーに来ていたシホさんからの依頼でレインボーパレードに参加した夜、マキさん(チーフ来日オーガナイズ)、リカちゃん(チーフツアースタッフ)、アキオ(レインボー2000、BIG MTN、セイクレッドラン、チーフツアースタッフ)、オカノくん(天空オーケストラ)たちと共に、タツロウさん('88いのちの祭りオーガナイズ)宅にて誰かれとなく来年('99)−昨年'98、11月の時点−のことに話がおよびました。2000年を迎えるにあたってやるべきこと、自ずから蒔いた種を刈り取ること。反省し、自ずから「ごめんなさい」と心の底から言える時をもとう。誰に?地球に、となりの国に、あなたに、そして自分自身に。みんなで「ごめんな祭」をやろう。それが多くの人に伝わり今年('99)から3年間('99. 2000、2001)“虹のまつり”という祭りをやっていこうということになりました。
http://www.earth.co.jp/niji/

 '99年明けて2月にデニス・バンクス氏が大阪に来たとき、オカノくんが中心となり虹のまつりとして迎え入れました。その後も各地で集まりが持たれ、先月(5月)は横浜こどもの国にてアースデイとリンクした虹のまつりギャザリングが再びデニスを迎えて行われました。そして8月5・7・8日と奈良でごめんな祭が、9月9日9午後には1分間の祈りの時を世界中で持とうという動きが始まりました。

 もう一つは昨年('98)、チーフがコンダクトするビッグマウンテンのサンダンスの時、バヒ・キャダニー氏との間でBIG MTNホームページを日本から世界に向け発信しようということになり、この春ついにこのサイトが完成しました。ビッグマウンテンに毎年来ているトモが中心となってヨーコちゃん、ナオミ、エミちゃんたちの協力で素晴らしいものが出来ました。

 今年4月、このホームページのためバヒからのメールがひんぱんにトモのところへ届くなかに、悲しいニュースが入っていました。“チーフの長男がアルコールのトラブルから妻に殺された。そして、チーフは悲しみに打ちひしがれて、誰にも会わず、一時は英語を一切使わずラコタ語しか口にしない。そして、ラコタの伝統により、髪を切り喪に服している”。(子供たちをとても愛している人です。日本でも毎日のように心配して電話をかけ、子供たちにだけおみやげを買って帰りました。)

 先頃、虹のまつりギャザリングでデニスに会い、尋ねたところ、“クロウドッグは今はだいじょうぶだが、身体が弱っている。彼の健康が少しづつ悪くなってきている・・・・”。と、聞かされた。噂では病院に入院しているとも、肝臓が悪いとも聞いています。そして先日、マキさんから、「大鹿でのユイピセレモニーの翌朝、チーフに呼ばれ、何か不都合でも?と思い部屋へ行くと、小声で“SPIRIT TOLD ME YOU ARE A SICKMAN”(おまえ=クロードッグは病人だと、スピリットがおれに告げた<昨日のユイピで>)と打ち明けられた」そして「たぶん日橋さんのこともスピリットから聞いて知っていたんじゃないか」と、聞かされた。

 いつもあれから常に頭のスミに消えることなくあった、日橋さんの死とヒーリングセレモニー(ユイピ)のこと。そしてチーフの息子の死のニュースの時、少しはインディアンの人たちの現実を知っているつもりではいたけれど、ついついメディスンマンという古しえの魔法使いのイメージに想いを抱き過ぎる僕たちになにか問題はあったのだ、ということに気がついた。アルコールやドラッグ、差別 や失業であえぐ人々、リザベーションという檻に入れられ自由と尊厳を奪われた誇り高き人々。サウスダコタやビッグマウンテン、聖地を奪われ、伝統を奪われ続ける現実。そんななかで伝統を守り儀式を守り続ける人々、それがメディスンマン、メディスンウーマンと呼ばれる人たちです。セレモニーではスピリットの存在も、奇跡のように見えることも現実として起こります。しかしいつも目の前の現実にのみ奇跡は起こり状況は一変し人々の願いや望みが叶う、というものでは決してない、ということ。いまの居留地の現状がそのことを物語っています。しかしたてえどんなに悲劇的に見えようとも、大いなる存在に感謝と祈りを欠かす事なく、そこに希望を常に見いだして、この500年間を生きのびてきた。そのことこそが奇跡なのでしょう。肉体は必ず死ぬ 。たとえどんな人でも、どんな聖者でも。チーフはマキさんに告げた以外、その後の道中、決して、自分が病んでいるとスピリットに言われたことは明らかにしませんでした。またそんなそぶりも見せず全身全霊セレモニーを執り行ってくれました。もし仮に日橋さんの寿命がつきることをスピリットに言われて分かっていたとしても、大勢集まって日橋さんの回復を祈り願う友人や知人、家族そして本人の前で、スピリットの世界で見えていることをそのまま告げることが出来たでしょうか・・・・。人が死ぬ ということは、母親の死、最初の娘の死も含めて悲しいことには違いありませんが、より大きな目で見る努力をして、どんなに悲劇に見えようとも、決して否定的な意味でのみ存在するとは思っていません。日橋さんとの最後の一年、身近で接する機会を多く持たせてもらい、人が生ききるということ、死に様というものは、かくも壮絶で素晴らしいものか、ということを教えてもらったような気がします。その後の生命の輝きに光をそえにチーフがやって来たのだと思います。20年、共に闘ってきた同士として、そしてKOLAとして(ビッグマウンテンでも、いつも日橋さんを見かけるとハウ コラ“やあ友よ”と言っていました)。グレートスピリットとお釈迦様のお導きによるものだと思っています。

 道志村にて台風直撃のなか、ファイアーマン数人がズブ濡れになりながら寝ずの番スウェットの火を守ってくれました。そして夜明け前の大雨の中、スウェットロッジのなか、チーフ自ずからこの大嵐を喜んで言われました。“自分の父親も雨を大層喜んだ。生命をもたらす恵みとして”。スウェットの終わるころ、雨は止み始め、そのあと池のところに不思議な虹が架かりました。僕は見ていませんが、逆さの虹が出ていると日橋さんが教えてくれました。僕たちが見にいくと、虹は横一文字の太い虹となり向こうの山の手前、大地に低くくっきりと出ていました。それを見ているうち涙があふれてきました。僕には大いなる存在からの祝福のサインと映りました。

 チーフに逆さ虹のことを尋ねると、“ラコタでは、海の底で貝がごろんと横になる時、空にそんな虹がかかる言われている。それは時代が大きく変化するときの前兆だ。しかし2000年に出ると言われているのだが、何故少し早く出たのか?”と、不思議がっていました。火を囲みサークルを作り、パイプセレモニーを行ったあと、チーフは歌をうたい、そして言いました。“来年かいつの日か、また再びこんな素晴らしいギャザリングが出来ればいいだろう。しかしその時、たとえいかなるチーフがいなくても、メディスンマンがいなくても、そこに聖なる火があり、(スウェット)ロッジがあれば、それだけでいい、そこに必ずスピリットは来る!。

 それ以降、火のそばで祈りの歌をうたう時、いつも身近にスピリットの存在を感じています。そして日橋さんの存在も。

 日橋さん、名前のままに、日本人と赤い人たち、ビッグマウンテンの人々との間に虹の橋を架けてくれました。自ずから決して口にすることなく、だからこそ本当の地涌の菩薩として、虹の戦士として、スピリットとなりてなお僕たちを教え導いてくれていることでしょう。ビッグマウンテン、ミユキさん、ユキウマをお守りください。ありがとう日橋さん。

 たった2週間にも満たない滞在のなか、でも僕たちには何年分にも匹敵する深く濃い時間を共に過ごさせてもらったチーフ・クロードック。時には優しく、時には厳しく、毎日毎日がセレモニーのなか、数々のBEAUTYを見せてくれたチーフに心より感謝します。そして今のチーフの心境、状況を想い、日本からもお祈りをおくりたいとおもいます。バヒからのメールにも、「いつもいつも、自分以外の多くのことを助け、祈ってくれるクロウドッグを、逆に私たちが、祈りのスウェットを持ったり、それ以外のいかなる方法でもいいから祈ってあげてほしい」と、ありました。

 皆さんの祈りを届けてください。お願いします。
 チーフの健康と家族、そして部族のために。

 皆さんの心よりのサポートに本当に心から感謝します。今回話が来てからスグ詳細も不明なままサポート要請をお願いし、心よくカンパしてくれた多くの方々。BIG MTNや赤い道の上つながった兄弟姉妹はもとより、インディアンとは直接ゆかりもない昔からの友人や、そしてフライヤーを見てカンパしてくれた見ず知らずの多くの方々。各地で受け入れを引き受けてくださり、そのための準備に関わってくれた多くの方々。各地の集まりに来ていただき、カンパを始め署名をいただいた多くの方々。本当にありがとうございました。また来日予定が二転三転し、当始の予定が変更となったことでご迷惑かけた方々、本当にごめんなさい。またいつの日か、この太陽をシンボルに持つ国に、サンダンスチーフ・クロードッグが再びやって来てくれることを願ってやみません。

 その日がくるまで共に祈りつづけましょう

MITAKUYE OYASIN
ALL MY RELATIONS
つながるすべてのいのちのために
(ラコタにつたわるお祈りのことば)


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