●WALK IN BEAUTY PROJECT について

 '98年夏もまた、ビッグマウンテンのサンダンスに多くの日本人が訪れました。もう20年ビッグマウンテンに関わり、この年でサンダンサーとして7年目の儀式を迎えるニッパチさんこと日橋さんとその家族をはじめ、鍼灸医として10年間、毎年このあたりに住むディネやホピの長老たち、サンダンサーや多くの人に無償で治療を施すため訪れているDr. ベアーこと岩品先生夫妻、そして'90年代に入ってからこの時代になんらかの精神的な救いを求めるかのように、毎年日本から訪れる人が増え、数人のサンダンスベイビーを入れ今までは、40人を超えるまでにもなりました。

 僕がはじめて訪れた'90年の頃は多くのインディアンやインディアン以外の人に混じってサンダンスを片隅で見せてもらったような日本人も、今では儀式のほとんどの重要な役割、シーダーマン全員、ファイアーマンの半数以上、キッチンスタッフ、セキュリティ、そしてサンダンサーにも数名、名を連らね、'98年は初めてサンダンスチーフたちの要請を受け、前代未聞のシーダウーマンも誕生しました。ラコタ(スー)やシャイアンなど平原インディアン部族にとって最も重要な儀式の一つサンダンス。それが、政治的な背景を下に本来の伝統ではないディネ(ナバホ)とホピの聖地ここビッグマウンテンで行われるようになって15年程になると聞きますが、その理由ゆえ、最も純粋に "祈り" の行われるこの儀式にこれほど日本人が関わらせてもらえることは、他の民族の儀式ゆえ、その責任の重大さを感じるとともに本当に名誉なこととも思っています。

 話は、前後しますが、1998年の夏、僕たち日本人数名は、ビッグマウンテンに入る準備をするため、その近くの町 FLAGSTAFF にてバヒ・キャダニー氏を訪れました。その時、彼よりわれわれ日本人に一つの提案がなされました。それは、「毎年これほど多くの日本人がビッグマウンテンに来てサンダンスを訪れるようになってはいるが、あまりにもビッグマウンテンというよりサンダンスにフォーカスされすぎていて、何故サンダンスがここビッグマウンテンで行われているか? ビッグマウンテンとはどうゆう歴史と文化、伝統があり、それが、現在どんな状況にあるのかということを見る暇なく、学ぶ暇なく、日本に帰ってしまっているのではないか?」と言われ「それは、あなたがた日本人にとっての教育の機会としてもサンダンスエリア以外のもっと広大なビッグマウンテンを見て欲しい、未だ数世紀変わることのない伝統の下で暮らす人々の生活を見て欲しい、それは北米のなかでも最後の本当のインディアンの生きる姿であり、またその自然は数千年、数万年変わることのない太古のままの大地であり、そのどちらもが(そうは思いたくないが)アメリカ政府の強制介入により今世紀中に消えてしまうかもしれない最後の姿なのだから。それを実際に自分の目で心で見て感じて欲しい。そのためにそこを案内する」というものでした。

 それはここ数年どちらかといえば、そんな長い抵抗の運動に疲れ、また、日常の問題を解決する方に精力を傾け、半ば虚無気味にサンダンスにもあまり姿を見せることの少ないバヒの申し出に、やはり事態がかなり緊迫しているという空気が感じられ、逆にわれわれにとっても願ってもないこのツアーの同行参加をお願いしました。

 そしてサンダンスのはじまる2日前、数台の車を連ねて、そこに住む者以外立ち入禁止に指定され有刺鉄線のフェンスで区切られた広大な地域を訪れました。そのエリアこそがビッグマウンテンと呼ばれる地域の最深部であり、地理的にも精神的な意味(聖地が点在する)においても、そして歴史的にも(一世紀前、アメリカ騎兵隊と戦い抜き勝利したディネ戦士たちの数年間にわたった戦いの場所でもある。)その心臓部をなすところでありました。そしてそこはまた彼らの子孫が強制移住を拒み、未だに数家族が祖先の霊とともに戦い生きている場所でもあります。詳しくはその時に撮った写真を見ていただきたいと思いますが、そこに住む長老たちはほとんど英語を話すことが出来ず、電気も水道もなく、車こそありますが、めったにサンダンスにも来ることもなく、未だに昔ながらに羊を追い、その毛を紡ぎ織物を織って暮らしています。そんな人たちを一人残らず町へ移住させ一見大金に見えるお金で永遠に生きることの出来る伝統的生活を破壊し、金銭でしか生きられない生活を英語を話せない老人たちに強いる法律を定め、それを拒否するにもその制定された法律ゆえ、そこでは、電気を引くことも家を修理することも禁止されています。また、自然に増えた家畜を勝手に没収し、それに罰金を課せることが日常この法律の下に実行され、ただでさえ現金収入の少ない生活を脅かしています。そして人々の生活はおろかあとに残された大地も原型をとどめていないぐらい破壊し、地下に眠る鉱物を堀り尽し、それを近くの都市まで運びために地下水を組み上げその水流により石炭を運ぶパイプラインシステムで膨大な量 の水を消費する。

 すぐ近くのブラックメサでは大規模な石炭の露天掘り(映画「ホピの預言」1986年宮田雪監督ランドアンドライフジャパンにその様子が詳しくでています。)が行われ大地は無惨な姿へと変わり、年々そのエリアは拡がり、そして近い将来、この強制移住地区全域に及ぼうとするのは火を見るよりも明らかです。(強制移住はこの地下資源採掘に一切触れておらず、ホピとディネ(ナバホ)の土地争いを解決するという理由のみ決定されました)。

 また、未だ破壊されていない手つかずに見える広大な美しい場所でさえ、地下水の消失により、以前とは比べものにならないぐらい雨が減り、本来行われていたトウモロコシやスイカの栽培も困難になり、多くの野生動物は去り、大事な家畜、羊や牛の水飲み場も消失したり汚染されたりしていると聞きます。それが今も続くこの国のインディアンのクニの現状、数千年そこに住む人たちから聖地として崇められ守られてきた聖地の行く末です。
 僕はこの10年近くほぼ毎年ビッグマウンテンを訪れていますが、この夏はじめてこの奥の院ともいうべき聖なる泉をたたえるビッグマウンテンのハートにて皆で祈りを捧げることが出来ました。

 その意味するところは、年々状況は悪化しもはや最終段階に来ているということなのでしょう。BIA(アメリカ内務省インディアン局)管轄の部族警察による数々のハラスメントを何年も続けられ一家族、そして一家族と抵抗することに疲れ果 て、先祖の眠る地を棄て出て行く人たち。また最後まで拒否し続ける伝統的な長老たちの一人一人と亡くなってゆくことによる残された者たちの精神的支えの喪失。そしてこの問題が起きてから深刻化してゆくホピとディネ、そして同地区に住むディネ内部での争いと対立…。
 そして'97年についにサインを拒否する住民も残らず今世紀中に強制移住を完了させるという最終通 達が出されました。20数年間にわたる大地といのちの生存をかけた戦いがどういう結末を迎えるのか。バヒもわれわれにサポートの要請するなどを含めまた積極的に動き出したように思います。

 そして僕たちにとってはもう一つの大きな理由。たしか6年間をビッグマウンテンに一人で住みつき手作りの小さなホーガン式の庵を建て、そこを道場に日々ホピとディネの人と大地の平和を祈り、共に行動した日本山妙法寺の島貫潤二上人。しばらくこの地をはなれインド、韓国を平和行脚し、道場をそのままにそして二度と帰ることなく'96年秋インドで倒れて亡くなったということに続き、同じく元日本山のご出家で還俗してからも毎年一度も欠かすことなくビッグマウンテンに戻り続け、インディアンのおばあちゃんたちに自分もお金がないのに、お小遣いをあげ、いつもジョークで人々を笑わせ明るく元気づけ、ビッグマウンテンの人たちから家族のように慕われた日橋さんのこと。1998年の年明け末期ガンで3ヶ月の命と医者に見放されても、自ずからの誓願成就(長年サンダンスに関わり多くのインディアンから踊りを乞われながら'92年その時を自ら決め50歳代半ばになって初めてサンダンスを踊り始められました。インディアンの聖数4―サンダンスは4年間続けて踊る―、その4倍の16年踊りたいと聞いたことがありますが、最低でも8年間はどんなことがあっても踊ると言ってました)に向けて、この夏もまたいつものようにビッグマウンテンに来て炎天下の中、4日間を踊り通 しました。僕自身をはじめ多くの日本人にご縁をつなげてくれた日橋さんや潤二上人が生命を賭けてまで祈り守ろうとしたこの場所の意味。あらためて多くのことを考えさせられた'98年夏のサンダンスでした。

 サンダンスの後、フラッグスタッフ郊外のバヒの家で聖山サンフランシスコ・ピークスを望みながら、私たちに残された時間でいったい何が出来るのか、ということを話し合った時、日橋さんや島貫上人のように身体一つこの地に捧げるということは、すべての人が出来ないまでも、今やこんなに多くの人が自分の目で見て心で感じとったことを、それをまたまわりの人に伝え始めているのだから、もっと多くの人、世界にいる多くの人々に見て感じたことを伝えられたらという思いが浮かびました。今の時代5年前、10年前とは比べ物にならないくらい意見の疎通 伝達をとり巻く状況は進歩していると聞きます。インターネットによる可能性です。

 もちろんアメリカにもS.D.N.(ディネ独立国)発信のビッグマウンテンに関するホームページはあるのですが、ニュースの更新があまりなされてないらしく、それとは別 の日本発もしくは経由の情報が日本語と英語で世界中に発信できないか?ということです。情報の混乱を避けるためにビッグマウンテンに関するレポート、ニュースを私たちと縁の深いバヒ・キャダニー発とし、日々刻々と変わる「What's going on?」、「What's happening?」をそのままのせてゆきます。

 おくしも国際司法裁判所(大虐殺、強制移住など国際的に見て非人道的な行いを国という枠を超えて裁ける機関、多数の国が実現に向け賛同しているがアメリカが最後まで抵抗していると聞く)実現に向け機運が高まる今、世界中の不特定多数の市民が「未だ今世紀末に西部劇の頃と変わることなく土地を追われ、伝統を追われるインディアンがいる」ということを知ることが出来るということは、なんらかの大きな力となるキッカケになり得ないでしょうか?

 多くの人が本当のことを「知る」、「気づく」ということ、その一つの機会になればと思います。僕自身いまも基本は身体ひとつかの地へ行き、自分の時間と肉体そして思いと行いをすべて捧げることがサンダンスWAYであり祈りであると思っていますが、サンダンスは実際に踊る4日間だけがサンダンスではなく、あとの残りの361日を次のサンダンスに備えて行動することがサンダンスであると教わった。日本にいる間、祈りの一つのカタチとしてこのWALK IN BEAUTY PROJECT が在り続ければと願います。そしてそれは、ビッグマウンテンとそこに住む人たちからいただいた多くのBEAUTY(美)へのお返しとして。

 最後にこのウェブサイトに来てくださいましたまだ見ぬ 兄弟姉妹たちからも、意見、質問、アドバイス、批判、なんでもいいからメールをいただければありがたいです。この仮想空間がひとつの理想的な共同体となってゆければ素晴らしいことだと思っています。WALK IN BEAUTY という名称は、 Hozho go Nah Naazo(ホジョナ ナジョオと発音します)、May we (you) walk in beauty. 私たちが調和のとれた美しさの中を歩いていけますように、というディネのお祈りのことばから名付けました。少しでも私たちがそのすべての思いと行いを通 じて美しい調和の道を歩けるように祈りをこめて。その祈りが7世代先の子供たちにとっても永遠に美しいものとなるように、そしてつながるすべての命のために…。

ALL MY RELATIONS.

WALK IN BEAUTY PROJECT
HAL

 

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Walk in Bauty Project に関するお問い合せ先

 Walk in Bauty Project は、インディアンにご縁があった者たちが集まり、ビッグマ ウンテン・サポートを中心に活動している非営利グループです。今後は、引き続きビ ッグマウンテンに関する情報の提供を行うと共に、長野県望月町にディネの伝統的な ドーム状の家屋ホーガンを建設するプロジェクトや、ビッグマウンテンの長老達の家 に滞在して羊飼いなど生活をサポートしながら自然と共に生きる道を学ぶプロジェク トを進めて行きます。また、ディネの伝統的な羊の毛織物や銀細工などの手工芸品を 中心としたフェアトレードも行っていく予定です。詳しくはこのホームページでお知らせしていきます。。

  Walk in Bauty Project
  Website : http://www.walkinbeauty.net/
  E-mail : >> コンタクトフォームへ



 ●Website スタッフの紹介
(Walk in Beauty Project)

 Reporter (in Arizona)
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