ビッグマウンテンの強制移住問題が、このWALKの到着で解決されたわけではもちろんありません。今年2月1日の最終期限(デッドライン)は、このウォークや各地の行動、署名を含めたそれらの影響もあったのでしょう。事前にその日に限っては何も行わない、とホピ、ナバホ両部族政府よりメディア等を通じて声明が出されていましたが、その時点においても強制移住法がなくなったわけでもない以上、我々はそれを進める立場にあるとも言明しています。部族政府は法律上はその部族を代表する機関ですが、連邦政府の内務省インディアン局(BIA)下にあり、その成立過程も含めて現在でも他の部族も同様、伝統的な人たちからはその“正当性”を否定されています。しかし、そこに属する人の中にも少しでも現実を良い方向に変えていこうと日々努力している人も少なからずいることも事実です。要は部族政府は決して連邦政府と対等な立場にはない、ということが問題なのでしょう。

しかし、このホピ、ナバホ両部族政府ともこのウォークを良く思わなかったようです。アメリカでのウォークが始まる直前、両部族政府に現地にいる日本人を通じて部族内領土の通行許可申請を含めて、自分たちの立場を表明する声明文を送り、我々は決して政治的抗議行進ではなく、またどちらか一方の民族のみを支持するものでもないことを表明していたのですが、そのどちらからも様々な妨害と中傷がこのウォークに対して出されました。
その理由とするところは、2月1日というのは強制移住執行日(11月頃までは軍隊を出動させてまで行うと新聞を通じて発表していたと聞きましたが、)というセンセーショナルなものを意味するのではなく永年にわたるホピとナバホの領土問題(この法律の出来た理由はあくまで二部族間の土地争いを連邦政府が調停するということであり、焦点となっている地下資源開発には一切触れられていない)にはじめて終止符が打たれる記念すべき日なのだ、ということでした。この日を境に両部族間の領土が明確になる。そのため永年にわたり両部族政府は話し合いを重ね、移住に同意しない人にも「和解協定」という代案(土地を放棄し、借地人となる代わりにその家長(ほとんどが老人)一代限りは住める。しかし、実際には家畜数を制限されたり等、従来のような生活は出来ない)を作りやっとこの日を迎えることが出来たのだと。そのためせっかく努力に努力を重ねたこの両部族間の均衡を破るような行動を、一部の過激な抵抗を続ける者たちにそそのかされてして欲しくないのだと。

なかでもホピ部族政府よりウォーク終了後に出された広報新聞に一連のことが書かれており、そこでは僕たちは過激な外部からの煽動家(!)と呼ばれていました。ホピ部族政府の人と会って聞いたところ、12月に何者からか、ホピ政府の建物を爆破する電話があり、緊張と困乱がもたらされたのだと。また、ビッグマウンテンに通じる橋を爆破する電話も再度あったとか、そしてその数ヶ月前にピーボディ社の石炭採掘現場から大量のダイナマイトが紛失し、それと関連づけて推測されたり、そしてFBI以下多数の警察官がホピの村へやって来て、このウォークの事を関連づけて聞いて回ったそうです。丁度その頃ホピの村では、新年最初の重要な儀式の準備期間に当たっており、なおさらホピの人たちは儀式に対する平安が乱されて動揺が持たらされたのだといいます。

本当にそんな電話があったかどうかは僕たちには知る由もありません。もちろん本当にそんな電話があったのであれば、理由はどうあれ僕たちは支持しませんし、このウォークとは一切関係しないことです。また、そんなことをしてビッグマウンテンの事が解決したり、事態が良い方向に向かうなどとは到底思えないのですが、そんな状況の中、特に部族政府側からは政治的な行進、抗議デモという見方をされた(にされた?)ようです。そのため当初行進予定だった石炭採掘現場付近には100名以上のFBIをはじめあらゆる管轄の警察官たちが待ち構えていた様子です。

祈りの行進、スピリチュアルウォークであるといくらこちらがそう言っても、ビッグマウンテン問題という永年にわたり複雑化し、泥沼化した状況の最終局面に出されたデッドラインデーに向かって歩いている以上、そういったとらえられ方はある面いたしかたないのかもしれませんが、しかしだからこそ祈りとは、スピリチュアルウォークとは、ということをそれこそ日本を出発してから毎日のように自問し、皆と話し合い、一歩一歩それを確かめながらここまで歩いてきたのです。最後ビッグマウンテンに入るときもインディアン・ウォーク?の伝統に乗っとり、星条旗を逆さにかかげて歩いていこうか、と誰かが冗談半分で提案した時も、即座に全員がこれはポリティカル(政治的)ウォークではなくスピリチュアルウォークであるからと、取り止めになりました。多くの人が自発的に断食しながらそれぞれの祈りを歌に、そして一歩一歩を祈りとして、聖なるパイプに従い歩いてきました。もちろんなによりビッグマウンテンに残る長老たちが支持しないのであればこの行進をやる意味はない、と、そのことをバヒを通じて幾度となく確認しながら。

数を力とせず、勢力を誇示することをよしとせず、祈りの在り方、その深さのみを謙虚に求めながら僕たちは歩いてきました。決してホピやディネどちらか一方に偏るものではなく、ましてや分裂をあおったり、促したりするものではありません。聖地を巡る民族の対立などエルサレムを見るまでもなく自ずからの正当性を主張すればするほど平和とはかけ離れていくことは過去の歴史が証明しています。

僕たちにいま求められているものは、聴く耳を持ち、見る目を持ち、そして、これらのことを理解するハートを持つこと、すなわちホピ平和宣言で述べられていることそのものだと思います。

アメリカでの行進の初日、お世話になったキャメロンの町の議長セイモア氏が言っていました。
「かつて合衆国政府はここの土地をナバホに与え、今度はホピに与え、そうして我ら2つの部族の仲を引き裂いてしまった。ホピ部族政府ですら利用されとる。しまいには全部我らインディアンから土地を取り上げる気だろう。しかし、これからはもう争う時代ではない。ワシントン(DC)とですらもう戦う時ではなく、共にわしらと手を取り合って平和に向かって働こうではないか」

真実とは一体何か。かつて一緒に平和のために闘った、その多くがもうスピリットの世界へ行ってしまったトーマス・バンヤッケ氏を始めとするホピやディネの伝統派長老の語る言葉にもう一度耳を傾けたいと思います。
2月1日以降現在(6/中)までのビッグマウンテンの状況は、時折バヒからのメールやディネの人と結婚した日本人女性の友人から現地の新聞記事などで知らせてきています。

それらによると、まず永年長老たちを支援していた非インディアン・サポーターをまず排除しようという動きが始まっています。年老いた人たちが必要とする各支援、羊追い、マキ割り、水汲み、外部との連絡、フェアトレードによる伝統工芸品の販売、法律上の問題の代行、そしてなにより外部の目、目撃者としての彼らを追い出す動きです。彼らがいなくなれば残る地元の人たちは手足をもがれたも同然です。長老たちは精神的にはとても強い人たちですし、毎日を祈りを欠かすことなく生きている人たちですが、肉体的な衰えにより、日常生活に不備が生じていることや、特に法律の問題に対しては彼らの支援なくては大きな困難がともなうのは明らかです。なにより外部の人間の目が届かない状況になると、前世紀と変わらないやりたい放題の現実がいまだに続けられてると聞きます。

今回、このウォークをとても喜んで迎えてくれたアーリーンというアメリカ人女性が、その後不当な理由(強制移住法の下、一切の建物の増改築が禁じられていますが、その地域内でティピ<簡易式インディアンテント>を建てて使っていたという理由)で、ホピ部族政府より裁判にかけられ、結果6月中に退去するよう命令が出されました。

彼女は10年以上もビッグマウンテンに滞在して、地元の女たちが作る伝統的なナバホ織の敷物をフェアトレードの形で販売する「WEAVING PROJECT」を立ち上げ彼女たちの経済的自立を助けてきました。まず外部の支援者を排除し、そして残る地元のノーサイナー(サインを拒否する人)を一人づつ裁判所に出頭させてゆく手段がとられるだろうと言われています。いま一度、ウォークのように一歩一歩、誰もが出来る地道な支援、なによりそんな祈りがますます必要とされています。

一人でも多くの目を、想いを、祈りを届けて下さい。
現地での実質的なサポート、そして引き続き署名も集めてゆきます。
僕たちを迎えてくれたビッグマウンテン・ディネ主権国大統領ロバータ・ブラックゴート氏が言いました。「いままで生きてきたこともウォークだし、これからの人生もウォークそのものだよ」と。
世界中、そしてこのクニ全ての聖なるところ、僕たち一人一人の心の中にある聖地ビッグマウンテンを守ってゆくため、これからも一歩一歩、行ないを祈りとして歩いていきたいと思います。

IN BEAUTY, MAY WE WALK
FREE BIG MOUNTAIN!