−北米インディアン(原住民族)の強制移住を止めるための祈りの行進−
1/27アリゾナ州サンフランシスコ・ピークス 〜 2/2ビッグマウンテン
南無妙法蓮華経
ビッグマウンテンで長い間ご修行されていた故島貫上人様のご草庵は3メートルくらいの楕円形の穴が残っているだけでした。だだっ広い赤い砂の砂漠の中、ご草庵だった所のまわりはセイジやら低灌木類の木々が延々と続き、大きな大きな青い空が広がっていました。かつてはその穴のまわりを、そのあたりにあった曲がった木々を集めて円錐形に組んだだけの、それはそれはシンプルなご草庵だったそうです。ビッグマウンテンへの祈りの行進が終わり、すべてのセレモニーが終わったあと、島貫上人様のご縁の方々を、バヒ・キャダニーさんが案内してくださり、はからずもお詣りすることができました。バヒ・キャダニーさんは島貫上人様、日橋(にっぱち)さんを始め、多くの日本山のご縁の方々と親しく交流されているディネ(ナバホ・インディアン)の活動家です。この祈りの行進のアメリカでのオーガナイザーの一人でもあります。島貫上人様はここビッグマウンテンの赤い大地の上に水道もなく電気もなく、ただ青い空が大きく広がっているだけという質素な生活のご修行を長い間されてこられました。地元のディネの人々と同じように暮らしました。今でも地元の人々は「ジュンジ、ジュンジ」と御上人様のことをとても親しく覚えていました。
そもそもこの行進を始めることになったきっかけは、去年の11月19日、島貫上人様の祥月命日にバヒ・キャダニーさんが来日して、山口ハルさんたちビッグマウンテンのご縁の方々と話している中から計画されました。西暦2000年元旦の初日の出を飛騨高山(岐阜県)の位山(くらいやま)で迎えて、東京のアメリカ大使館へ向かって歩きはじめました。ビッグマウンテンにおけるインディアンの強制移住をやめさせるための署名は日本で14000名分が集められ、その署名をアメリカ大使館へ手渡し、日本での行進は終わりましたが、そのうちの約30名以上の日本人行進者がそのまま飛行機・バスを乗り継いで、ここアリゾナ州フラッグスタッフに集まってきました。この行進を実際に誓願したのは山口ハルさんたちですが、目に見えない世界で島貫上人様が誓願し、またもうおひとり今は亡き日橋(にっぱち)さんの誓願(せいがん)も大きく人々を動かしています。実際日本での行進は、日橋さんのパイプ(アメリカインディアンの人々が神聖な儀式の時に必ず使う、タバコがつめられた神聖なるパイプ)が常に先頭を歩きました。そしてこのパイプはビッグマウンテンで強制移住を拒否し、母なる大地と父なる天への祈りをささげ、伝統的な質素な生活を続けているエルダーの方々へ、無事に届けるという強い意思が働いていました。
1月27日、ビッグマウンテンへの祈りの行進はフラッグスタッフの北、ビッグマウンテンを取り囲む四つの聖なる山の一つ、サンフランシスコ・ピークスでのセレモニーから始まりました。日本から持ってきた日橋さんのパイプとスタッフ、それにバヒさんがここで詰めたパイプとスタッフを朝日に向ってささげもち、四方向ののスピリットと大地と天に祈りをささげ、いよいよ行進はアメリカでの第一歩を踏みはじめました。セレモニーに集まった人は72名、そのうち半数近くが日本人。行進参加者は40名。日本山の団扇(うちわ)太鼓は11張(ちょう)。安田法尼、北米ニューイングランドでご修行されているトビさん、埼玉県飯能(はんのう)市から参加のタイさん、シアトル在住の幸島さんとエクストラ太鼓、グラフトンのご縁のピーターさん、エリックさん、カズさんと、日本からずっと歩いている山口ハルさんと日橋みゆきさん(故日橋さんの奥さん)、そして私。南無妙法蓮華経の御題目の声と共に御太鼓が鳴りひびきます。初日の歩行距離は27.2キロ、日没すぎまで歩きました。
1月27日・28日とお世話になったキャメロン・チャプターハウスは、ナバホ居留地内にあり、2泊目の夜、地元のお母さんが娘たちを連れてフライブレッドを作り、持って来てくれました。また86歳になる地元のメディスンマンと85歳のその奥さん。それにキャメロンのプレジデントのセイモアさんらから、ここキャメロンにかかわる問題をじっくり聞くことができました。「1950年代、ここキャメロンではなんとウラニウムの露天掘りされた場所が百ヵ所以上もあり、いまだそれらの穴はあいたままで、飲み水の汚染が深刻な問題となっている。ウラン採掘には多くのインディアンの人々が従事し、当時は世界最高の爆弾ができるから、このウラン露天掘りの仕事を誇りに思うべきだと教えられたという。しかし、次々に病に倒れ、仕事を辞めたり引っ越していった。医者に行っても原因がわからず、最後に大勢の人が死んでいった。多くの人がいまだに原因不明の病気で死んでいる。人間が地球を傷つけるとしっぺ返しがくる。」
メディスンマンのキャニオンさんはさらに話を続ける。「ここキャメロンもビッグマウンテンと同じように強制移住地となっていて、移住が完了するまではいっさいの土地利用は凍結されている。家を建てることもフェンスをつくることも、木を植えることすらも許されていない、自分たちが自給自足できるようになることを政府はだめだという。政府が次々とつくる法律は我々にとってまったく受け入れがたいものだ。」最後にプレジデントのセイモアさんがすばらしいメッセージをくださいました。「自分たちの敵を許さなくてはいけない。そうできれば世界中のいろんな肌の色の人が平和になることができる。新しい敵をつくることはもうやめなければいけない。ワシントンの政府も一緒に働いて、自然界の法則を取り戻さなくてはいけない。」
私たちのこの祈りの行進は、今年2月1日を最終期限としてビッグマウンテンからの強制移住をせまるアメリカ政府に対して、自分たちは聖なる土地ビッグマウンテンのお世話をするように創造主からそこに置かれた大地の守り人であるとして、大地とつながりながら共に生きているエルダーの皆さんがそのままの生活を続けられるよう祈り、励ますためにビッグマウンテンに向かって歩いていきます。しかし、私たちがいくらこれは「祈りの行進であり、いかなる政治的意図をも持たない」と言ってもBIA(合衆国インディアン局)やホピ警察を刺激しているようです。1月30日、その日の宿泊場所レッドレイク・チャプターハウスに着くと地元のエルダーたちをはじめ八十人以上の人たちが、私たちを歓迎してくれました。地元の少女のフープダンスやエルダーたちの歌、また行進者からもかわるがわる歌が続きました。しかし、宴(うたげ)も終わり宿泊する行進者だけになってから、バヒが話し始めた。「申し訳ないが質問はしないでほしい。」急遽、寝袋だけを残して他の荷物をまとめ、今夜中に明日のキャンプ地まで車でみなの荷物を運ぶことになった。明日歩くことになっているピーボディ社の石炭採掘現場への道路が封鎖され、聖なるパイプがビッグマウンテンへ行けなくなることをバヒは恐れた。そしてバヒは決めた。ルートを変更し、忍者のような隠密行動で、強制移住地域内に住みつづけてがんばっているビッグマウンテンのエルダーたちのところまで向かうということにした。
1月31日の朝のサークルは93人で、日に日に行進者が増えてくる。出発してすぐエレファントフィートと呼ばれる二つの対になった巨大な岩があらわれた。ディネやホピの人たちにとって昔からの大切な聖地だったという。この二つの大きな岩をはさむ形でサークルをつくり祈りをささげた。そのあとちょっと歩いて道を右に折れる。ここから約8マイル(13キロ)は「走る」ことになった。ラン希望者は4人1組で各ハーフマイルをリレーでつなぐ。そのあとは、いよいよ強制移住区域内に入る。サポート・カーは一足先に宿泊地へ向かった。鉄条網を乗り越え、あるいはくぐり強制移住区域内へ入る。ここから約3時間、道なき道をどこに向かうか察知されないように歩いて行くはずであったが、日本山の御太鼓と南無妙法蓮華経の御題目が鳴りやむはずがない。忍者ウォークのはずが実に堂々と何マイルも先まで御太鼓の音を響かせての行進となった。
360度ブッシュの広がる壮大な砂漠の中、赤い大地を一歩一歩踏みしめて歩く。鉄条網のフェンスをふたたび乗り越え道に出ると、ようやくブラックメサの上に住み、ずっと闘争し続けているエルダー(お年寄り)のリーナ・バペット・レインさん家族の住む家に到着した。クロージングサークルは101人もの大きな輪になった。そう、私たちは誰にも邪魔されることなく、無事にパイプ(アメリカインディアンの人々が神聖な儀式の時に必ず使う、タバコがつめられた神聖なパイプ)をここビッグマウンテンの中心ブラックメサまで運ぶことができました。
翌2月1日は強制移住期限日、そしてこのウォークの最終日となります。今日も赤い砂の道なき道を行進する。途中、ピーボディ社の石炭採掘現場が見える場所で祈りをささげました。そもそも、ビッグマウンテンにおけるナバホとホピインディアンを強制移住させる発端になったのが、ここビッグマウンテンの中心ブラックメサの地下に大量に埋蔵される石炭のせいだったのです。昔のように白人がインディアンからいろいろな物を奪いとるという形ではなく、最近のやり方はインディアン同士を争わせ、その裏で企業が利益を得る、そしてアメリカ政府は法律などを作ることによって企業の便宜を図っているという形です。
今日の目的地ディネ独立国大統領のエルダーのロバータ・ブラッグゴートさんの家には26.5キロ歩いてのち夕方着きました。100人以上の人が共に歩き、クロージングサークルに130人もの人が集まりました。ロバータさんから順にサークルの中に入り、一人一人に握手しあいさつしてゆきます。なんとも慈悲深いエルダーです。かつて一九七九年ロバータを中心にこの地のエルダーたちは、ここは自分たちディネの国であることを宣言し、地下資源の開発に反対し、今でも強制移住を拒否しつづけています。27家族が今も移住のサインを拒否しています。強制移住の期限が過ぎましたが、今のところ何も起こっていません。それは外国からの支援の人をも含めて、多くの人々がことの成り行きを見守っているせいだろうと言われています。
翌2月2日は、このウォークを締めくくるパイプセレモニーが行われました。ロバータさんの家から6マイル(10キロ)ほどの場所で、この辺りの3人のサインを拒否している長老たちの住まいの、ちょうど真ん中に位置しています。ここまで運んできた2本のパイプに新たにもう1本加わり、3本のパイプはサークルを時計回りに参加者の口から口へ順に回されました。こうして、日本から歩きはじめたビッグマウンテンへの祈りの行進は無事終わることができました。
フラッグスタッフに、ナバホ・ホピ・インディアン強制移住事務所があると教えてくださったのは、スウェーデンの緑の党の議員エバさんでした。彼女とはチューバシティのチャプターハウスで、地元の人々が用意してくださった夕食をいただいている時に会いました。安田法尼とは前々からの知り合いで、彼女はカテリーナ法尼のスウェーデンにおける仏舎利塔建立の強力なサポーターでもあるということです。彼女は長い間チェルノブイリで被爆した子供たちのお世話をしている関係で、ビッグマウンテンにおける人々の被爆問題にも敏感に対応し、この2月1日の強制移住の最終期限日に合わせてスウェーデンからはるばる飛んできたそうです。世界のいろんな人々が、ビッグマウンテンの強制移住にからむ動きに注目しています。
私たち安田法尼、トビさん、カズさん、幸島さん、ピーターさんと私は、2月2日のパイプセレモニーのあと、島貫上人様のご草庵跡をお詣りし、そのままフラッグスタッフのダイアンさん(行進のもう1人のオーガナイザー)の家へ戻ってきました。翌2月3日、4日とフラッグスタッフのナバホ・ホピ・インディアン強制移住オフィスの前で断食ご祈念をはじめました。はじめは私たち六名だけではじめましたが、一緒に行進に参加した行進者の人々が誰に聞いたのか、1人2人、4人5人と集まってきて、2日目夕方には30名以上の行進者たちが、ある人はドラムをたたき、ある人は南無妙法蓮華経の御題目を唱え一緒にお祈りすることができました。
合掌
市川隆子(法尼)
日本山妙法寺アトランタ道場
|