(「人間家族」2000年10月号掲載) |
HPL 地域のディネの間では、自分たちの権利を守るため、 HPL チャピターを設立すべきだということも議論されています。昨年12月にはナバホ・ネイション大続領、ケルシー・ベガイとノン・サイナーの間で会談がなされ、チャビターの設立はじめ、長い闘争で病んだ
HPL のディネを癒すための、ヒーリング・セレモニーの実施など、数々の要請がなされました。大統領との会談は現在も引き続き行われています。 |
デッド・ライン以後、人々の間でのもっばらの話題にホピ部族政府行政裁判所で行われている
3 つの立ち退き裁判があります。現在まで 2 つの判決が言い渡されました。まず最初に判決が言い渡されたのが、ウォークやサンダンス、JIM
で御馴染みの方もいると思いますが、長年のナバホ・ラグを通してHPLの強制移住抵抗者を経済的側面から支援してきたカリフォルニア出身の白人女性サポーター、アイリーン・ハミルトンの立ち退き裁判です。彼女は、「ウィービング・フォア・フリーダム」を主催し、アメリカ合衆国及びヨーロッパでビッグマウンテン支援のためのラグ・ショーをオーガナイズしてきました。彼女は昨年
5 月半ばから 7 月初めまでの一か月半、ポーリーン・ホワイト・シンガーの居住地で、「ビース・キャンブ」(あるいは「ウィットネス・キャンブ」、「エデュケーショナル・キャンブとも呼ばれる)と称し、ナバホ語、ナバホの歴史、ナバホ文化、ナバホ料理、ナバホ織り(糸紡ぎ、草木染め、織り)などの各講座を開催し、カリフォルニアの学生に現地学習として実際の学部の単位に組み込まれる、教育的なプログラムを実施しました。 |
それがホピ部族政府に無許可の危険な集会とみなされ、2 年間の HPL 地域立ち退きの判決を受けたのです。2
年後に HPL 地域に立ち入るには、ホピ部族政府の許可を必要とする条件付きです。アイリーン側はこの判決を不服として上訴しており、11 月に再びホピ部族司法裁判所にて審議が行われます。 |
次がやはり長年、HPL の人々を特に法律的な側面からサポートしてきたニューヨーク出身の白人女性、マーシャ・モネスタスキーの裁判です。先住民の人権保護の立場から、国際連合に現状を訴えているのは、彼女を中心としたサポート・グルーブです。また、実際こ家畜の没収などが HPL 地域で起こると・部族政府・BIAと談判するのも彼女で、何度も無償の家畜の奪還に成功しています。 HPL 地域のディネの数々の法律問題に相談にのり、無料の弁謹士を紹介するサポートもします。彼女もホピ部族政府から危険人物とみなされ、 HPL 地域からの永久追放を言い渡されました。 | マーシャ・モネスタスキー ディネ・カレッジにて |
キー・シェイ ホピ部族行政裁判所にて |
そして、ついにディネの中で最初の犠牲者が出ました・キー・シェイ(写真左)です。キー・シェイは映画「ホピの予言」にもインタビューで登場しているので、記憶にある方もいらっしゃると思います。当年
86 歳になるビッグマウンテン地域の男性の最長老でもあります。耳が少し不目由ではありますが、身体は健康そのもの。毎日かくしゃくとして羊追いの仕事に従事しています。彼自身は、NPL
地域の住人で、ホピとナバホを分かつ境界線から数マイルのところに住んでおり、A・A の対象ともなっていません。それが今回ホピ部族政府に訴えられたのは、祖先のホーガンが
HPL 地域に在り、それをディネの慣習上管理していたのを違法とされ、なおかつ危険人物とみなされて、永久追放を言い渡されていたのです。キー・シェイは伝統派と知られており、たくさんの人々の尊敬をかっている人物です。それにしても
86 歳になるお年寄りに対して、なんと非人惰な裁判ではないでしょうか。この裁判は現在もなお進行中でまだ確定されていません。日本からも抗議の手紙をお願いします。
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さて、デッド・ラインを 7 か月過ぎた現在も、HPL での人々の暮らしは続いています。すでに大部分の家族の羊は、頭数制限によって減らされてしまいました。しかし、中には現在も100
頭以上の羊を所有している家族もあります。今年の 5 月に、ホピ部族政府によって家畜目録を作成するため調査が行われましたが、このような家族はたぷん巧みに羊を調査の目。から退けているのだと憶測されます。一見平和で牧歌的なビッグマウンテン地域ですが、。ホピのレンジャーが四六時中監視しており、人々ヘプレッシャーは今も変わることなく続いています。 |
President George Bush(アメリカ合衆国大統領) |
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