サポーターの皆様
まずはご報告がこのように遅くなってしまったことを心よりお詫び申し上げます。
何を皆様にお伝えすることがもっとも相応しいか…。
それには、ウォークという直接的なアクションを、2000年2月1日に向けて行った中でそれぞれが発した言葉や、ウォークの宣言を分かち合うことが一番だ、と心に決めておりました。
北部アリゾナ地域で暮らす伝統的なディネの居住者を強制的に移住させるために、連邦司法制度によって、これまでにもたくさんの立ち退き期限が設けられてきました。しかし、強い意志をもって最後まで残ってきた居住者にとっても、今回の期限はこれまで以上の、もっとも脅威的なものでした。
「ビッグマウンテンのためのロングウォーク」または「ブラックメサを救うための祈りの行進」として知られるこの直接的な行動をはじめ、たくさんのアクションが2月1日のデッドラインに向けて一斉に行われました。
この行進を通し、私たちの学びを根本的に支え、ウォークの目的にインパクトを与えたと思われる声明をここでご紹介していきたいと思います。
そして、このスピリチュアルな行動が成し遂げた宣言文も付け加えました。
ウォーカーとして歩いた方も、この宣言文を支持してくださる方も、どうぞこの署名に参加して責任ある政府各局やあなた方の議員に渡し、訴えてくださいますようお願いいたします。
それから、皆様にこの文書を出すにあたり、私の個人的な経験や感想は差し控えさせていただこうと思っています。なぜなら、この6日間に渡るウォークのすべての瞬間が、すばらしい情景、人々、想い、あらゆる分かち合いに満ち溢れているからです。
すべてが美しさにあふれ、何という驚きの連続だったでしょう。
このスピリチュアルで実質的な経験は、歩いた人、様々な形でこれを支えた人、それぞれが担った役割に関わらず、私たち一人一人、みんなのものであると確信しています。
でも、もしこのウォークをその目で確かめていらっしゃるなら、あの光景はもっとも驚嘆すべきものだったに違いありません。
1978年のロンゲストウォーク、ブラックヒルズを救うための1979年のウォーク、1980年のスピリチュアルウォーク、73年のウーンデッドニー事件から10周年めに行われた1983年のウォーク以来、私は今回のようなウォークを見たことがありません。この特別なウォークについて書いてしまうと、私はきっと様々なことを論じた挙句、自分のことばかりを繰り返してしまうことでしょう。
それから70年代や、80年代初頭といった先住民族のムーブメントがもっと純粋に、「インディアンらしい」コミュニティーの統一を目指した時代と比べると、また少し異なった時代にいるんだと私は感じています。
ですから、私の過去にたどってきたムーブメントを引きづって「美辞麗句」を並べ立てたりしないよう、これまでのウォークについてもこれ以上言及しませんので、どうぞご了承くださいますように。
ウォーカーの皆々様を始め、食事を作ってくださった方々、ドライバーを務めてくださった方々、安全を確保してくださった方々、すべての皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。
皆様のおかげで、私たちの親類や、ディネ人、ひいては奮闘しているすべての先住民族がこのウォークを果たすことができました。私は今でもほとんど毎日、皆様のことを考え、ウォークのことに至ってはしょっちゅう夢の中に出てくるほどです。私は心より願っています。
私たちがまた、再び会えますように、と。
カナダインディアンの「兄弟」が私にこう語ったように。「またどこかのアクションで、な?」
最後になりましたが、このレポートに目を通すためのお時間をいただきまして、ありがとうございます。
そして、皆様のサポートと、祈りに、心からのありがとうを。
バヒ・キャダニー
ロバータ・ブラックゴート(70歳代後半)
シン・ロック・メサのディネ抵抗運動指導者
私たちが常に心しておかなくてはいけないことがある。
それは、現代社会が私たちの最高の山の存在を変えてしまっているということだ。
私たちの聖なる母山、ドゥーゴォオスリッド(サンフランシスコ山)は、私たちディネの精神的な中心地から西の方角に座していらっしゃる。
私たちの教えによると、母なる彼女はちょうど両足を前にのばして座っているのだという。
そして私たちを見守るように、東の方向を見つめていらっしゃる。
しかし今、増加する一方のアメリカ人によって彼女はそのモカシンを焼かれてしまった。
(エルデン山のこと。フラッグスタッフの街がこの山を取り囲んでいる)そのため、彼女は裸足にさせられてしまった。
彼女の美しいドレスも同じように切り裂かれ、スキーヤーのするがままになっている。
彼女の腹部に位置する、いわゆるピュミス炭鉱では、彼女の皮をはがし肉体を切り取っている。
このようにして、アメリカ人たちは彼女の存在を変えてしまっている。
リタ・ビラコディ
ディネの草の根運動団体ベネットフリーズ、ディネ人会長
このように多様な国籍の方々が一同に会している姿に、深く心を打たれました。
今日この場所からウォークを始めることを助けてくださった皆様に、心打たれました。
私たちの聖なる山、この場所は「進歩」や「利益」という名の下に非常に多くの虐待を受けています。
ウォークをしてくださっているということ、皆様方に、心の底から感謝の意を申し上げます。
アメリカの主流が私たちの聖なる山「ドゥーゴォオスリッド」を軽んじ破壊していると同じく私たちの中にも、土地に対する権利を否定されている人々がおります。
私たちは「ベネットフリーズ」として知られる方針のもとに活動しています。
つまり、ビッグマウンテンの長老の方々と同じような文化的・環境的荒廃を経験しております。
私たちも皆様方と一緒に立ち、共に歩きたいと思います。
エルウッド キャニオン(89歳)
アリゾナ州キャメロン出身、ディネのメディスンマン
おぉ、私はこれまでずっと話に聞かされてきた人たちはどんな人たちなのかと、ウォークをしている人たちに会いたいと単に思ったまででな。
そして今、こうして出会えたのだが、あちこちから集まってくれたアジア人とインディアンと、様々な白人
が一同に会しているのは何と美しいことか。私は本当にびっくり仰天したよ!
歩くことは、本当にエキサイティングなことだ。私もかつてはあらゆる所を歩いたものさ。
時々は長距離だって歩いたものだ。新しい人々に出会い、物語を分かち合うこと、自然の先見で大地を見たり発見したりということのどれ一つとっても、素晴らしい学びの経験だ。確かに歩いて旅するということは、難儀なこともある。しかし、歩いて旅をする自由や報酬の中には、本当にたくさんの楽しみがある。
[筆者手記:ウォークの2日目、私たちはエルウッド キャニオン氏にまったく鼓舞されてしまった。ちょうど皆が水ぶくれと疲労の揺り返しに苦しみ、痛さと闘っている所に氏がやって来たのだから。両瞳を嬉しさに光かがやかせて、驚嘆の言葉を発しながらウォーカーの中でおしゃべりする氏の表情に私たちの痛みはあっという間に和らいだ。彼はまた、ベネットフリーズの荒々しい政策について世に伝えたいと語った。1940年代から50年代にかけて稼動していたウラニウム採鉱が野ざらしになっていることでどれだけの影響を受けているか、世界に伝えたいと語った。彼はディネ社会の中でヒーラーの役割を担っているため、放射能による病を治癒する方法はないかと常々熟考し模索している。日本人の老婦人が彼に玄米と昆布を食べてはどうか、と提案した。また、広島と長崎の町が原爆によってどんな被害を受けたか、という情報にも彼は耳を傾けていた。夜も更けたので氏は帰途につく前に、ディネの古代からの唄ー大地の上を旅する人の唄を聴かせたいと言ってくれた]
[Translated excerpts]
[唄訳の抜粋]
それは私、それは私、あなたが私を置いた、私をお創りになられたこの場所で歩いている。それは私。
あなたのつくられたもう すべてのものが私をとりかこんでいる。私の上に、私の前
に、私の下に広がっている。
私はその中を幸せな気持ちでバランスを保って歩いている。
幸福と、バランスが私の前にやって来る。私が歩いて行くうちに。それは山々から私のもとにやって来る。
あなたの意識、それは宇宙。そこから私のもとにやって来る。
植物や動物界の魂のもとから、それは私のもとにやって来る。
美しさの中で、私はいつでも旅をするだろう。
あなた方がこの地上を歩いて旅するとき、聖なる土地土地に祈りをささげることを心に留めておきなさい。
聖なる河を渡る前には祈りをささげなさい。河はグレートスピリットが私たちに維持するよう与えてくれた最高の法の道を表しているのだから。
そして、あなた方の父、太陽に祈りをささげることもおぼえておきなさい。
とうもろこし畑を通り過ぎるときには、それがもう見捨てられた畑だとしても祈りをもって存在を確認することが唯一の尊敬あるやり方だ。
私たちディネは普通、旅をするときには聖なるとうもろこしの花粉を身に付けている。
だからこのような場所に出会ったとき、とうもろこしの花粉をささげるし、自分自身もこの花粉で清め祝福をするんだ。
セイモー ツォ(およそ70歳を迎える ディネの長老)
ディネ部族議会の元代表であり、現キャメロン地区の議長
[In Prayer (translated excerpts)]
[祈り(抜粋)]
わが神よ、あなたの偉大なる憐れみと寛大さをもって、ディネ国を訪れてくれた日本人の方々に祝福をお与えください。彼らはあなたがお創りになられたように、あなたの御子であり、私たちの親族です。思慮深いかの心が、ビッグマウンテンの人々に対する憐れみと尊敬とともに彼らをここへ導きました。ここへ来る前は自分たちの国を歩いておられた。彼らの国や街が原爆を経験したと同じ経験を私たちの多くの者が経験しています。原爆の灰が生み出した破壊に責任のある、この国に、それでもなお、許しの心と愛をもってここまで足を運んでこられた。偉大なる神よ、私はこのような心で、この方々たちを迎えております。そして今日、どうかこの方々を見守ってくださるよう、お願いします。どんな障害がこの人たちの行く手に構えていようと、安全にその障害を乗り越えることができるようお運びください。一緒にウォークに参加する者たちも含めて、見守ってください。白人もインディアンの者も一緒におります。あなたの導きで、ブラックメサで懸命に生きる人々を助けるこのウォークを成就させてください。アーメン」
ながいかつみ(日本人のオーガナイザー兼リードウォーカー)
(ハイウェイ89と160の交差点にて)
さて、ここからはランをリレーさせることにしようか?
AKA(ディネ人オーガナイザー)
("DUMPSTER-SEEKER" <注:バヒ自身のことを自分で冗談めいて
"ゴミあさり" と名付けている>)
賛成だ。チューバシティーのチャプターハウスまで、まだ11マイルも残っているのに、日暮れまで2時間しかないのだから。
ながいかつみ
ランナー2人位かな、それとももう少し増やそうか?どう思う?
パイプかあるいはスタッフを持って走るべきか?
AKA
4人のランナーで、パイプと主の2つのスタッフだけは持っていった方がいいんじゃないかな。
やまぐちはる(日本人サポーター兼オーガナイザー)
ランナー以外の人たちを移動させるにはどうしたらいいだろう。
AKA
じゃ、まずはリレーの一番最初の区間のためにバンを一台使って、他の車をチューバシティまでみんなをシャトルリレーするのに使ったらどうかな。
やすだじゅん(日本人僧尼)
私は歩くべきだと思います。だって、ちょうどディネの人たちが大勢参加してくれたところなんですから。彼らももっと歩きたいだろうと思いますよ。11マイルなんてそんなに遠くありません。歩きましょう。
AKA
おぉ、いやぁ、ありがたい。じゅんさんがわれわれの問題をかたづけてくれた。
オーケー、歩くとしよう。
ながいかつみ
歩くのかい?ハハハ、それなら歩くとしよう。でも今すぐ行かなくちゃね。
ハイウェイ89から160へと入る交差点での会話
ワンダ・マクドナルド(ディネ族女性、前ナバホ部族議長ピーター・マクドナルドの妻)
"合衆国政府はただ私の夫がこの国で一番力があるインディアンの政治家となりつつあった為に彼を迫害したのです。政府はある事件における全責任が彼にあるとしてそれで彼を告発するとゆう策略を用い、彼を陥れたのです。現在彼はペンシルベニア州の刑務所に収監されています。彼は健康を損ねている年寄りであり、家に戻ってくる必要があるのです。この自分の家にいれば家族から受けられるような手厚い看護を刑務所の中では受けてはいないでしょう。このウォークに参加している皆さん、そして私達の為の皆さんの努力をサポートする他の団体の人々に私の夫ピーター・マクドナルドが自由の身になれるよう手を貸して欲しいのです。"
〔著者メモ〕
この上記の出来事は私にとって本当に思いがけないことであった。
私が "Red Nations(インディアンの)大学" を出たばかりの頃、または1978年のロンゲストウォークの頃、そしてディネの抵抗運動が再び起こらんとした頃にビッグマウンテンにおける強制移住に対する抵抗運動が他のディネの闘争と団結し始めた。
Aneth 石油会社に対し抵抗するディネ族により組織されたウォークがユタ州Anethより始まった。
彼らはナバホ部族政府が石油会社に対し借地契約の要求をのませることに失敗した為、ナバホ部族評議会前にて抗議しようとした。
70年代初頭のニューメキシコ州地方のシップロックでの奴隷労働及び人種差別に対するディネの抵抗も又、このユタ州のウォークに合流した。
ビッグマウンテンや石炭が埋蔵しているメサのディネの長老達や若者ものちにウォークに参加した。
ウォークがウィンドウロックに達した1978年の11月下旬には
ナバホ国家警察部隊が部族評議会本部の入り口を封鎖していた。
ウォーク隊は入り口を封鎖している警察を迂回して部族議会の建物群を取り囲み、キャラバン(サポート車)とウォーカーはその建物の後ろ側の自然の橋の下にキャンプを張った。
警察が狙撃兵を配置してキャンプを取り囲み、交渉が始まった。
ウォークのリーダー達はピーター・マクドナルド議長に対して長老達に会い、それによって人々の要求を聴けるよう要求した。
交渉はなんら結果を出せずに失敗し、さらに機動隊とヘリコプターが現れ始めた。
夜通し警察は我々のキャンプ地全体にスポットライトを当てた。次の朝、部族政府の弁護士と数人の職員がウォークのリーダー達にこの場を去るようにと説得しようとしたが長老達やウォークに参加している者達はここを占拠するつもりであることを示した。
2日目の午後までに職員と弁護士は去り、2〜300人の機動隊が横一列になって隊を組み始めた。
我々は部族評議会議長のピーター・マクドナルド氏が我々に対する武力行使を警察に命じたことを知らされた。
その日の終りには機動隊員と争った、数人の長老達を含む26人が逮捕されその他大勢が催涙ガスを浴びせられたり、殴られたりした。
夕方まで逮捕された者たちは、我々のキャンプ、備蓄品、食料そしてあとに残してきたウォーカー達に何が起こったかさっぱりわからなかった。
もとより、それ以降もピーター・マクドナルド氏は伝統派ディネの運動に対する最大の敵であると思われた。
(しかし)今、2000年となり、私は孤独で悲嘆にくれる妻であり、母であるマクドナルド夫人がまた別の不正行為について世界に向け嘆願するのを見ている。
私が今見ているのは連邦政府なのか?
インディアンに対する人種差別、"正" か "悪" か。
連邦政府は違いはないと見ている。
我々インディアンは未だに野蛮人なのか?
我々は大地から“富”を搾取することを知らない。
このウォークは私にとって一つの旅で在りつづけた。
マクドナルド氏と私は同じサークルの上を一周したように思える。
ビッグマウンテン地域の大地が鉄条網のフェンスで仕切られることに反対するビッグマウンテン委員会の書記(秘書)に私が就任後の1977年暮れの彼を記憶しているし、フェンスに反対している長老達の意向を私が説明したあと彼がなんといったかも記憶している。私の話を聞いた後、彼は“それはいいね。そうだ、我々はお互い等しく同じように助け合わねば。我々みながそのように多くのことを成し遂げる事が出来ると思う。”
そして今、私は又この年取った男性、ピーター・マクドナルド氏が家族から2,000マイル以上も離れた連邦刑務所に収監され、苦しめられていることは不当なことであると受けとめている。このような手段で彼の家族を苦しめることは不正行為でさえあるだろう。
〔注釈終り。バヒ〕
"ボブ" ちゃん。
日本人ミュージシャンであり、サポーター、活動家、そして今回のウォークのウォーカーである。
(アリゾナ州、レッドレイク近くのハイウェイ160号にて)
"バヒさん、君はチャプターハウスにこなくちゃだめだよ。ディネの人たちがたくさん来るよ。彼らはたくさんの食べ物や、フライブレッド、シチューをもってくるよ。ウォーカーは来て食べなさいって言うんだよ?
通訳に来てよ。"
バヒ(ディネのオーガナイザーでありガイドである。)
"私はウォークと共にあらねばならないんだ。誰か英語を話せるはずだから。2時間半ぐらいできょうのウォークは終了するからと彼らに言ってくれ。日没までにエレファントフィート(ディネの人々がお祈りをする象の足のようなモニュメントのある所)に到着したいんだ。いい?"
(ハイウェイ160号での会話終了。)
レッドレイクのディネの婦人達のゴスペル聖歌隊〔抜粋の翻訳〕
"私は独り立ちし始めた。
全てを失って以来ずっと。
私は希望を捜し求める間、ただ一人で旅を続ける。
自分自身に尋ねる。どこで真の許しと哀れみを見出すのだろうか?
"長い間捜し求め、旅を続けてきて、未だに本当に救済を願っているが。"
"こんなに大きな苦しみと共に私は求めつづける。"
"私が願いをあきらめようとしたちょうどそのとき、あなたの元に向い、すぐさまあなたの中に愛を見いだした。"
"おお、親愛なる主、キリストよ。絶望の中で私を見いだしたのはあなたです。"
"あなたは祝福をもって私を抱きしめた。私は今永遠の喜びと共に平和に生きるでしょう。"
AKA("ゴミ箱漁り"、祈りの行進のディネ族オーガナイザー)
"今晩(ウォーカー)の皆さんが寝る準備をする前に若干の急な変更事項についてお知らせしなくてはなりません。"
理由は聞かないで下さい。我々がこれから禁止されているエリアに入り、我々のこのウォークを成功させる為に必要なことなのです。明日の朝までに各自が自分の分の食べ物、水、必需品のみをいれた手荷物だけを持ってその他の荷物をつめなおしていただきたい。手荷物はかなり遠隔地まで野原を歩くのにいります。
この奥地へのウォークの間、サポートカーはありませんし、何もトラブルに見舞われなくとも5時間ほどかかるでしょう。手荷物以外の大きな荷物と食料などは夜のうちに
"禁止" 地域へ車で送ります。ですから、皆さん今夜ぐっすり休息を得る為に荷物と食べ物をまとめてつめて、30分以内に荷物出しを出来るようにしてください。お互いに荷物の運び出しを手伝いましょう。皆さんの協力に感謝します。"
レナ・バベットレーン(70才代半ば)
(西部ブラックメサのディネ族レジスタンスリーダー)
"今歩いて来られたウォーカーの皆さん全てが素晴らしいと私は思います。どうか私どもが皆さんを歓迎していることをお伝えください。どこでも皆さんの気に入った所にテントを張ってください。私も主人も皆さんに自分達用の僅かな食べ物しか差し上げることが出来ないのですが。"
AKA("ごみ箱漁り")
"食事の心配はなさらないで下さい。ウォーカーの食事は全部自分達で賄います。
皆ここにいますから、お二人ともごゆっくりできますよ。
あなたがたのご家庭に食事を用意していただこうとは思っておりませんし、ゆっくり寝る場所を提供していただけるだけでありがたいと思います。ですから、どうぞお二人で食事を楽しんでください。お二人の所に滞在させて下さってありがとうございます。"
レナ・バベットレーン
"では、そうします。でもほんの少しでもここにいる皆さんと分かちあうべきだと思うのです。訪れた旅人に食事や軽食をもてなさずに行かせるべきではないと教えられました。ですから、さあ、この新鮮な羊料理を皆さんで分けてください。この小さな肉片が皆さんの旅の糧となり、またメディスンとなることを願います。
この食べ物を分かつことで皆さんに力と良きスピリットがあらんことを。こうして皆さんが元気でいることを祈り、私の感謝のしるしとします。"
ハル山口
(ウォークの日本人オーガナイザーであり、ウォークインビューティープロジェクトのコーディネーターでもある。)
"おはようございます!ヤアテー!(注:ディネ語の挨拶)グッドモーニング!
今日は2月1日です。警察もBIA(合衆国インディアン局)も我々がディネの地にこのウォークで入っていくことをやめさせようと思っていましたが、我々は今日
"HPL(ホピ分割区)" にウォークで入ることをやり遂げました。
今日は又、ディネの人達が皆転居させられるはずの強制移住の期限の日でもあります。しかし、彼らは皆まだここにいるのです!
彼らがいつまでもここに(住んで)いられるように、又来るべき彼らの次世代の為に祈りましょう。ウォークはあと一日あります。そしてこれらの(聖なる)パイプやスタッフを(立ち退きを拒んで)強制移住に抵抗している人々に届けることにより我々のウォークは完了します。
我々はセレモニーをビッグマウンテンの中心にて行います。このウォークを成し遂げる為の皆さんの尽力に感謝いたします。
ホカ・ヘイ!"
ジョン・カトニィー(79才)
(土地分割法により自分の土地を追い出された(失った)ディネで、サバイバルキャンプ サンダンス(2000年2月4日のウォーク終了まで)のバイプ保持者)
"このウォークを成し遂げた皆さん全員に感謝の言葉を捧げたい。私はなぜ我々皆がここに集っているのかを知っています。それは強制移住計画のもと我々がさらなるさまざまな困難にさらされているからにほかなりません。我々の生活がかき乱され、強制移住が強いられるようになってからかつてのような幸福な日々を過ごせなくなりました。
しかし、それでもまだ私は安息の日々が戻ってくることを願っています。そしてそれをいつも祈っております。そしてそれとともに皆さん全員を等しく私の身内だと感じております。強制移住を強いられる日々の中、私達はいろんな目に遭い、混乱しましたが私は皆さんに対して一度としていやな感情をもった
ことはありません。今一度、このウォークを成し遂げた皆さん、パイプキャリアー、スタッフキャリアーに感謝を捧げたい。そしてこの輪の中で再び集った全ての親族に特別な感謝を捧げたい。最も私がうれしかったことは皆さんが我々の聖なる山であるグレートマウンテン(注:ビッグマウンテン)を望むことが出来るこの地をセレモニーに選んだことです。ここは又、私にとっては私が育ったところであり、特別な場所なのです。私は我々が今立っているこの丘のすぐ下で生まれました。羊の囲いと私が生まれたホーガン(ディネの人々の伝統的な家)のまるい家の跡はまだそこにあります。
こういったわけで、私はまだこのあたりは私の国だと思っております。そして今、皆さんのサポートと祈りにより、強制移住に抵抗をしている私の親族と私自身我々の先祖からの土地で生きていく為の幸福と力強いスピリットを見いだせるでしょう。
このサンダンスのパイプと共にこの祈りの輪に加わりたい。
そして私の出来うる限り、この地とこの地に生けるものの為に祈りたい。
さらに我々が通り抜けてきた全ての困難とこれから我々の前に企てられるかもしれない全ての脅威に祈りたい。私はグレートスピリットに対し、我々皆がそのような苦痛や脅威が癒しや美の再生へと変わるように願う。
そのように最大の敬意をもって、私は語った。"
ジョン=カトニィーのスピーチ終了。
最後に(著者の記述):この祈りのウォークは期待以上に素晴らしいインパクトがあった。カヤンテとブラックメサ鉱山のピーボディ鉱山会社の職員達はこのウォークが彼らの盗んだ(リース)地域を通ることを予測していたが、はなから我々に対しその地を通るための許可を与えることについて話しあうことを拒否していた。
いったん我々がBIA(合衆国インディアン局)警察、ナバホ部族警察、アリゾナDepartment of Publicによる封鎖のことを耳にするようになったら?
治安警察(と我々ウォーク隊自身がハイウェイ160号上をパトロールカーの一群が東に向かっていくのを見たこと)、それは伝統派の長老達をともなって行くのに最善なことだったか?
アドバイス
警察というのは基本的に会社側の警察であるというあまりにもよく知られた話であるということ。一般の者には脅威としてでしかない。もちろん、ピーボディ石炭会社は爆発性の物質の残留物を池や水の流れに捨て、鉛に汚染された油を大地に垂れ流し、硫黄を大量に含んだ埃を大気中にふりまくということを許している。それでビーボディ社は環境と本当のディネの人々の健康を脅かすことができるのであり、州警察はいつも知らん顔だ。
このウォークはピーボディ社を神経質にさせることに成功した。
全警察を動員するというばかげた警備のためにピーボディ社の金を浪費させ、生産性を失わせたのだ。ピーボディ社とその仲間の警察はこのことについてその二枚舌で返答するのだろうか?
"我々(ピーボディ社)は社会の安全の名のもとに必要な警戒をせねばならなかった。"
このウォークのもう一つ及ぼした影響は(進歩派の平和的ではない)ホピ族高官がビッグマウンテンの強制移住に対する抵抗運動に(BIAからの間接的圧力のもと)また一つ悪いイメージを与える為にこのウォークを利用したことだ。
彼らが "もう一度言う。我々インディアンは征服された存在だということを受け入れねばならないのだということを理解しようとしない法を守らぬナバホ族の名のもとに(関係ない)外国人たちが不法侵入している。"
と言い続けているように思われた。
もし皆さんがまだ一度もよくできた冗談を聞いたことがないとしたらここに一つ紹介しよう。進歩派(編注:文末)のホピ部族が今回の祈りのウォークが彼らホピの宗教的祭日を混乱させていたと発表した(編注:部族政府発行の新聞にて)という、我々のウォークが与えたインパクトから起こったニュース(冗談)がある。
私は "インディアン対インディアン(の対決)" などというシナリオに貢献したくはないのだが、そのことにちゃんと向き合おう。
ビッグマウンテンに住む人々が大規模な強制移住を強いられる以前、多くの家庭が冬期中に火のダンス、ディネ語でYei Bi Cheiダンスというダンスを行った。
そして本当に同じように以前にいくつかのそういった儀式がホピ族の宗教的祭日の時期に行われていた。
私はホピ族が彼らの隣人であるディネ族にこれらの祈りや癒しの大きな集会をとりおこなわないようにと言ったのを聴いたことがない。
そうなのです。国際的な祈りの活動はパワフルであり、今回のウォークはそのパワフルな運動のひとつであり、私はブラックメサがそのまま在り続ける為のこういった活動が再び出来ればと願っています。
ビッグマウンテンの強制移住最終期限日に対するメディアの関心についてはかえってダメージを与えるよくないものであったと言わねばならない。
メディアはもちろんその問題をだいなしにし、そういった悪いイメージを与える報道・取材はアメリカの人々の心にホピ族とナバホ族はまだそのことを争っているのか?という気持ちを再び植え付けただけだった。彼らはこのインディアン同士のばかばかしい喧嘩に(地下資源の)鉱物の利害関係のことがなかったと言っただろうか?
このウォークが始まる前から私はメディアがこういう報道をするであろうとわかっていたし、すでに主流のマスコミの報道に対して反対していた。
人々のウォークについての正しい報道は非主流のメディアと適切な支援ネットワークの報道からだけである。私はこのウォークから、そして、その影響から学ぶことが出来ることを切に願う。
そして、我々の目前にある企業主体の世界という狂気をこえたその先が見れることを切に願う。
部族政府はもっと良いイメージを手に入れようとあがいている。遅すぎる。大地とその真の子供達は世界中で叫んだ。
ホカ・ヘイ!
チーフ バルボンチートの魂の内に、バヒ。
[訳:主原洋子]
(編注)どこの部族も同様だがホピ内部でも進歩派と伝統派の対立があり、ビッグマウンテン問題を巡っても対応が分かれている。それがこの問題をより複雑化させている原因になっている。(山口晴康)
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