今回のビッグ・マウンテンへの行進についての報告のなかで、バヒは、1978年のザ・ロンゲスト・ウォークのことを、the "University of the Red Nations"と表現しています。
私は、ザ・ロンゲスト・ウォークが提案された場から居合わせた唯一の日本人であり、アルカトラツ島出発時から参加し、雪のシェラ・ネヴァダ山脈越えでは唯一人のアジア人として、メイン・パイプを運ぶめぐりあわせになりました。私自身、 ザ・ロンゲスト・ウォークから学んだものは極めて大きかったのです。
今回の行進で私は、行進が日本を離れる前に、ザ・ロンゲスト・ウォークから学んだものをすべて行進に伝えることをめざしました。さいわい行進が進むにしたがい、思うような形ができていきました。形は心のあらわれであります。
真剣さ、自己犠牲、パイプにしたがい離れずに歩くこと、大地を踏みしめて祈ること。なによりも、祈りに入ったら祈りのみを信じること。高山から東京に至る間に、行進がこれらの精神的高みに達することができたために、アメリカで行進を迎えたバヒが、「1978年のロンゲストウォーク、ブラックヒルズを救うための1979年のウォーク、1980年のスピリチュアルウォーク、73年のウーンデッドニー事件から10周年めに行われた1983年のウォーク以来、私は今回のようなウォークを見たことがない」と感じたのでしょう。これが実現できたのは、何といっても、過酷なサン・ダンスを体験してきた人たちのおかげです。
おそらく東京の都心を、あのような、祈りの歌と歩くことだけを信じた行進が通ったのは始めてのことでしょう。かつて私は、1969〜70年のベトナム戦争と日米安保条約に反対するデモに参加して、ほぼ同じコースを歩きました。いま、それから30年で得たヴィジョンをもって、同じコースを歩いたことは、感慨深いものがありました。

「アイヌモシリ・ウルマ・ヤマト」の歌を歌いながら、これこそ私たちの「くに」の歌だと、涙が出ました。
真剣な行進には、真剣にならざるを得ない背景があります。1978年のザ・ロンゲスト・ウォークの時には、アメリカ合州国の全てのインディアンにとって、ネイティブ・アメリカンとしての存続の危機がありました。今回のザ・ロング・ウォーク・フォー・ビッグ・マウンテンには、羊飼いのほかには生きるすべを知らないディネ(ナバホ)のおばあさんたちが、その唯一の生きる場から追われるというデッド・ラインがありました。
私たち日本列島に住む者にとっても、文字どうりの存続の危機が近づいています。私は大地震による原子力発電所の事故は避けられないと考えています。地震災害に原発事故が重なれば、避難や救援は困難で、復旧は不可能になるでしょう。大事故で放出される放射能は、人間だけでなく、大地そのものを汚染し、日本列島のかなりの地域を居住不能にしてしまいます。そして、より広い範囲が耕作不能になるでしょう。放射能の被害は日本列島だけでなく、東アジアと太平洋の広い範囲におよぶでしょう。

静岡県を震源とする東海地震は、遅くとも2000年代なかばまでには確実に発生します。その震源の直上に、浜岡原子力発電所があり、4基の原子炉が稼動しています。このように、現在を含めたごく短い期間に大地震が予測されている震源で原発が運転されている例は、世界中でも他に例がありません。もしも、大地震が予測されていたにもかかわらず、地震によって原発事故が起き放射能が撒き散らされるならば、それは大地とすべての肌の色の人々に対する犯罪にほかなりません。
浜岡の土地は、次の東海地震発生にむけて毎年5mmづつ沈降し続け、"ひずみ" を蓄積しています。それが限界に達したとき大地震が発生し、前回の1854年の東海地震いらい沈降した分が、いっきに跳ね上がります。いよいよ跳ね上がる前には沈降が止まるはずです。

じつは、1995〜98年にかけて浜岡の沈降が止まっていたのです。多くの地震学者が、大地震発生に向けて次の現象に進むと考えていました。ところが、1999年から再び浜岡は沈降をはじめました。いっぽう、将来の大地震の震源の場所では、1999年8月いらい微小地震の発生数が極端に減っています。これは、いよいよ震源付近に、"ひずみ" を受け入れる余裕がなくなっていると考えられます。こういう状態になってから1〜2年以内に大地震が発生した例が知られています。この状態はいまも続いています。
いまのところ、東海地震発生数日前以内の直前予知はむずかしいとされています。しかし、もう少し長い期間内ならば、上のような複数の予兆が重なって観測されれば、大地震発生の可能性が高まっていると判断できるはずです。

放射能は熱を発生します。原子炉の核燃料集合体には、ウランの反応でできた燃えかすである莫大な量の放射能がたまっています。これが大量の熱を発し続けるので、原発は運転停止後も、核燃料集合体を冷やし続けなければなりません。もし地震で配管がやられて冷却水がまわらなくなれば、メルトダウンという大事故になります。燃えかすの放射能からの発生熱量は時間とともに減っていきますから、原発の停止は早ければ早いほどよいのです。
けれどもいまは、東海地震への危機感も原発事故への危機感も一般社会的には共有されておらず、いますぐ運転を止めさせることは困難だと思います。けれども手をこまねいて、破滅を待っているわけにはいきません。

東海地震発生への複数の予兆があらわれた時が、いよいよ行動を起さざるを得ない時だと思います。その時には、東海地震がせまっていることと、浜岡原発が壊れて放射能が放出されることは絶対に許されないことを、説いてまわらねばなりません。また、言葉にならずとも、浜岡原発が地震の前に停止されることを必死に祈って歩けば、天と地と人の心を必ず動かせます。これは、原発の是非という立場を超えて伝わるはずです。
 どうかその時まで、いまは毎日が薄氷を踏むような状態であることを、心にとどめていただきたいと思います。 


大地が健康でありますように
2000・6・25  河本カズ  拝