はじめて僕がビッグマウンテンを訪れたのは'90年夏のサンダンスでした。
その前の年ぐらいから日本からの人が増えており、というのもその前年('88年)にデニス・バンクス氏率いる各部族の北米先住民たちが、“大地といのちのためのランニング”SACRED
RUNで初めて日本を訪れていたのがキッカケとなったからです。
北米大陸を横断し、広島からアイヌモシリ幌延まで駆けぬけた際、多くの日本人が彼らと出会い、その「走る」というシンプルな行為が大地に対する「祈り」となることに「!」を感じたからだと思います。僕自身は‘88いのちの祭り会場でホピのメッセンジャー トーマス・バンヤッケ氏とインディアン運動の活動家で俳優・ミュージシャンのフロイド・ウェスターマン氏たちによるセレモニーに出会ったのが「ホピの予言」を始め多くの始まりでした。この時のSACRED
RUNには当時アメリカに住んでいた日橋さんも一緒に来日していて、現在につながる多くの縁をビッグマウンテンに繁げたと聞いています。'90にはSACRED
RUNがヨーロッパで行われることになっており、事務局となっていた大阪の堀越ユミさんところに出入りしながらパートナーのカオリコとヨーロッパ行きを計画中、「ホピの予言」や人間家族誌でその問題を知るところとなっていたビッグマウンテンに行ける縁をいただいたのです。
そこで初めて当時彼の地でご修業中の島貫上人と日橋さんに出会いました。そして当時のサバイバルキャンプで行われていたサンダンス。四日間食を絶って太陽に祈り踊り、最後には自ずからの肉体の一部を大地に捧げ返す。写真等撮影は一切禁止され山の奥深く人目を避けて行われる儀式は、当時バブル経済真盛りの都会で暮らしていた自分にとって、それこそ人生が一変するぐらい衝撃的なものでした。
また、そんな儀式の最中、人々がそれほどまでに世界の平和を祈っている時に、たびたびその上空を超低空飛行でアメリカ空軍の軍用ジェット機が爆音うならせ飛んで行きました。その広大なビッグマウンテン地域のその直径30m程のサンダンス・グラウンドが偶然!にも飛行訓練コース上に当たっていたのでしょう!?。そのあまりにも現実ばなれした映画のような光景に、逆に僕たちのいま生きている現実の姿が映しだされたかのようでした。
'92年、コロンブスがこの大陸を発見!してそこにいた人々をインディアンと呼んでから500年目の夏に、仕事を止めここ亀の島「アメリカ」に渡りました。そして島貫上人が誓願した大陸横断行進SPIRITUAL
WALK 1992 and beyondに途中より参加し、ワシントンDCにて500年目の夜明けを赤い人をはじめ多くの違う肌の色の人たちと迎えました。
そこで、同じく日本山妙法寺の安田ジュン庵主さんと知り合い、その後数ヶ月間、当時建設中だったN.Y州北部の山の中のお仏舎利工事をお手伝いさせてもらいました。その縁でその年の12月、そこからカナダ、ケベック州イヌーインディアン居住地まで歩くウォークに参加することになりました。巨大ダム建設計画(聖地である彼らの猟場が消滅し、既に建設された近隣のクリー族のところでは、その工事中に大量の水銀が流出し、水俣病と同じ被害がもたらされていた)の中止を願うこの巡礼行進では厳寒の地を北へ北へ歩いてゆくものでした。
この年、これらの経験を通じ、ウォークという、一歩一歩を祈りとするそんな非暴力行動の持つ力の大きさに出会ったのでした。日々道すがら、多くの人との出会いがあり、その時「何をしているの?」「何のために歩いているの?」そんな素朴な疑問や驚き、もちろん違和感も含めて、その時何らかの心に起きる感情が、未来につながる縁となって再び帰ってくるのを、幾度となくそれらの行進を通じて体験してきました。
もちろんメディアによる反応や、行進する側により起こされる数々の問題、それは良いことも、悪い(と見える)ことも様々なことが起きながら、それこそ、一歩一歩毎日を目的地目指し歩いて行くなかで、自分たちも気づき、学びながら成長していく。そして振り返ればすべてがつながりそこに道が出来ている。不思議に思えることも、困難にも直面しますが、歩くぐらいの早さで、頭だけではなく身体ごと大きな気づきがやってきます。ウォークの素晴らしさを実感しました。
その後もデニス・バンクス氏によるウォークやランに参加する機会があり、ますますそれらの行いの持たらす力を確信するようになりました。
ビッグマウンテンにもほぼ毎年訪れ、サンダンスという儀式を通じても精神的行為の持つ力の大きさを学ばせてもらってきました。
もちろんそれ以前にそれらのことを経験され、また自ずからの使命としてやられてきた多くの人がいたからこそ現在につながる大きな縁が出来たことは前にも述べましたが、'76コンチネンタル・ウォーク、'78ロンゲスト・ウォーク、'80ロングウォークフォーサバイバル、'70年代日本で行われた生存への行進、ホピの予言上映会、いのちの祭り、SACRED
RUN…、さまざまなスピリチュアル・ムーヴメントのつながりが人をして、また見えない力ともなって、今回のウォークにつらなり後押ししたのも先に述べた通りです。
現在にいたるその縁でつながれたすべての結果がこのWALKを実現させ、聖地ビッグマウンテンまで歩かせたのだと改めて確信しています。
またこのウォークを通じて出会った自分たちの住むこのクニの現状。まだまだ美しい日本の風景や自然の中出会う、コンクリートで固められた不自然な川や大小さまざまなダム。人が歩くことを全く考えられていない日本の道路。東京近郊にまだこんなに美しい自然が残っているのに、何故?そこを削りゴミで埋め立ててしまうのか?と、疑問を通り越して憤りを憶えてしまう日の出の森ゴミ処分場…。海の向こうの事ではない、他の民族のことではない、このクニの現実にも出会えてよかったと思っています。同時進行するこの星の現状を見れて悲しいけれどよかったと思います。何よりそんな自ずから住むところの問題に関わり闘っている人たちと出会えてとてもよかったと思っています。
僕自身もそうであったように、縁あってBIG MOUNTAINのためのこの行進に参加した人たち、特に若い人が、自分たちが住むこのクニで起きている様々な現状に目を向けるキッカケになればと願います。
現代生活を維持するために犠牲となっている自然とそこに住む人や多くのいのち。それは維持させるべく仕向けられたそんな快適生活の中で成立する一部の巨大産業と言い換えてもいいでしょう。その多くの犠牲は先住民と呼ばれる人が住む土地で引き起こされています。このクニでもアイヌモシリや沖縄をはじめ、山間部や海辺の過疎地に直接そこに住む人には関係しない多くのことが押しつけられています。ビッグマウンテン地域を含むフォーコーナーズ一帯を指して呼ばれる「国家的犠牲領域」と言う名は世界中いたるところそしてこのクニでもそれと同じ共通の状況が規模の差はあれ見ることが出来ます。
西部劇では「明白な運命」の名の下、住むクニを奪われ、虐殺されるインディアンが描かれていました。それを正当化する仕組み、推し進める力がこの世界にはいまだあるのです。ビッグマウンテンで起きていることを通じて、今一度、世界をそしてこのクニの現状を見ていきたいと思います。
日の出の森や、沖縄、アイヌモシリ…公共事業という名の自然破壊、原子力施設や基地を押しつける「公共的犠牲地域」を生み出す現実を直視して、いま僕たちが生きる時代を認識し、そして、ここから未来につながる一歩を踏み出したいと思います。
LONG MAY WE WALK… FOR FUTURE GENERATION
SPIRIT NEVER DIE
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