バヒ・キャダニー氏緊急来日について

 11月19日、ビッグマウンテンよりディネ(ナバホ)のバヒ・キャダニー氏が来日しました。12年前('87)、初来日の時は「ホピの予言」上映会とともに、北海道から九州まで日本各地を巡り、初めてビッグマウンテンに起きていることを先住民の口から伝えました。その後'95年、ヒロシマ・ナガサキ被爆50年目の夏に再来日、改めて母なる大地から無理やり奪われたものが、恐ろしいものに姿を変えて頭上に降り注ぐのだ、という事を伝えました。そして、今回、3度目の来日となったのは、来年2000年2月1日の最終強制移住期限(デッドライン)を目前に、今なお頑なに抵抗を続ける残る数十人の長老たちの声の代弁者として、9月スウェーデンに続いての緊急来日となったのです。
 奇しくも来日した日が、島貫潤二上人(日本山妙法寺御出家で、ビッグマウンテンに約6年住み、ディネ独立国サバイバルキャンプの活動にも尽力した。ビッグマウンテン初の日本人サンダンサーでもある。'97年11月19日他界)の命日にあたり、大阪のユミさん(掘越由美子さん、'90年~SACRED RUN日本事務局)のところで祈りの時を持ちました。そして福井にて八木上人(かつて多くの旅する若者に慕われた日本山妙法寺の長老)の13回忌の法要に出席し、高山にポンさん(山田塊也氏、アイ アム ヒッピー著)を見舞い、バヒとは12年振りの再会を喜び合いました。ここより内田ボブさんと合流し、長野、望月に日橋さん(日橋政男、20年以上にわたりアメリカン・インディアン運動と連帯し、バヒやビッグマウンテンと最も縁の深い人。元日本山妙法寺で、サンダンサーでもある。昨年12月9日他界)家族を訪ね、遺影に手を合わせ、改めてゲンさん宅にてスウェットの中、祈りました。そのあと東京、三重、神戸各ミーティングの場で新旧多くの出会い、再会の時を持ちました。なにより、初来日時にバヒと共に各地を回った「ホピの予言」映画監督、宮田雪さんとの神戸での再会は、二人の心のみならず回りの者にも、それぞれの置かれている状況の変化に月日の流れの早さを感じさせたのではと思います。そのあと九州に飛んでもらい熊本花崗山仏舎利塔にて日橋さんの一周忌法要に出席。そして最後に12年振りの阿蘇の山にお祈りして29日無事帰って行きました。

 

THE LONG WALK FOR BIG MOUNTAIN

 バヒ来日の前日、大鹿村のカズさん(河本和朗氏、BIG MTNのことをはじめて日本に紹介した)より、電話が入りました。「アキ(田村アキさん、'70年代はじめ旅の途中に導かれホピの長老グランパ・デービッドに会った)がポツリ言ったことに心動いた。ビッグマウンテンにいまだ残る数人のおばあちゃん達が伝え残そうとしてきた生き方を、インディアンの次世代のみならず、私たちもその生き方を受けついでいるんだ、ということを伝えたい。私たちが大地といのちのために行動するということを伝えることで、絶望の淵にある長老たちの心に希望の灯をともしたい。彼(女)らが、いずれスピリットの世界に旅立つ時、そのいまわの際に絶望の中で死を迎えるか、まだ希望を見てとって旅立つかどうか、それがとても大事なのではないだろうか、と。
 バヒ自らが言う。最後の本当のインディアンである彼らの最後が、絶望か希望か。そこに我々のできるなんらかのことがあるのではないか。そしてその行動を、自己満足とせずに、それを彼(女)らに伝え届ける。そのため例えば、日本からビッグマウンテンまで歩いてゆくWALKを起こせばどうか。我々イエローネーションの民がレッドネーションの危機に連帯して行動する、その為のウォークである。かつて('78)北米大陸を、インディアン諸部族が大同団結して歩いた。THE LONGEST WALKも、その始まりはデニス(バンクス)の一言からだった。

 私も偶然その場で傍聴していたのだが、インディアン各部族の諸権利をことごとく奪おうとする法案を阻止すべく、各部族のリーダー達が集まり知恵を絞ったがいいアイディアが出ない。時間も過ぎた最後の最後にデニスが言った。「こうなったら歩くしかない。我々の権利を我々の手に取り戻す為にサンフランシスコのアルカトラツ島からワシントンDCまで最も長い道のりを歩いていこう」。
その結果ロンゲスト ウォークが行なわれ、最終的には数万人ものインディアンが参加し、一連の法案は廃止となった。その時、数十人の日本人、日本人僧侶も参加し、現在にいたる彼らとの縁も始まった。それに習うわけでもないけれど、ここ日本から、例えば日橋さんのいた長野から東京まで歩き、海を超え、西海岸からアリゾナ州ビッグマウンテンまで歩いてゆくのはどうか…」。

 この話をきいたとき、アキさんの話もカズさんの話も、それぞれ個人的な想いではない、自分も含めたもっと多くの人たちに降りてきている、例えばヴィジョンのようなもの、「!」というひらめきにも似た感じがしたのです。道中、バヒに打ち明けたところ、“高山の位 山からスタートすればどうか"と。なぜなら12年前初めて日本に来た時、ポンさんが位 山を祭るまつりを行なった時、アイヌの長老、豊川エカシのとり行なうカムイノミの火を世話する役を仰せつかり、ファイアーキーパーをし、そしてスウェットロッジセレモニーをもち、位 山で祈ったと。そしてまた位山の頂上には古代からの太陽を祀る太陽神殿なるものがあり、同じくビッグマウンテンの頂上にも太陽神殿があると聞かされた。日本本州のタテとヨコの山脈の交わる所(フォーコーナーズ)の一つの中心、ポンさん曰く日本のビッグマウンテン、位 山から北米フォーコーナーズ、地球規模のエネルギーの交差する特別な磁場を持つコロラド高原ブラックメサの中心ビッグマウンテンまで歩いてゆく、そこに何かしらいろいろな因縁(リレイション)を感じるのは僕だけではないでしょう。とにかく、デッドライン(2000年2月1日)に向け、歩いていこう。ヨーロッパ、アメリカ国内と連帯し世界同時行動を起こそう。世界の目をビッグマウンテンに。署名をはじめ一人でも多くの人の祈りを届ける。そして2本の足で一歩づつ大地を歩く、その行いを祈りとして彼の地にいる長老たちに届けよう、それを彼(女)らの希望としたいという想いが一気に噴出しました。

 今回バヒとのツアーで、行く先々でこのアイデアを話しました。ポンさんは自分が最初のウォーカーになると言って、酸素吸入器をしていることを忘れる位 の元気さを見せました。神戸では1月出産予定の若者夫婦が生まれたての赤ちゃんを背負い歩きたいと言ってくれました。かつてのウォーク経験者(ベテラン)から、ウォーク未体験の若者まで、多くの人がこの話にビッグマウンテンという一地域、一民族の問題を超えた、もっと普遍的な、そして未来に対する希望の光を垣間見たような、明るい表情で賛同してくれました。多くの人にもたらされた一つの具体的なVISION(啓示)のような気がします。ぜひ実現させたいと思います。

 かつて、のさまざまなウォーク、ランの経験者、まつりの経験者、虹のまつり、いのちのまつり、又それぞれ多くの活動を通 じて、いのちと大地に祈りを捧げている人、参加出来る、出来ないに関わらず、多くの知恵と経験と想い、祈りでもって実現に向け、具体化させてゆきたいと思います。時間のないなか、忙しいなか、急な話で恐縮ですが、いのちの集いの場を持ち、知恵を持ち寄っていただきたいと思います。

 今回バヒの旅が12年ひとめぐりのなかで、いままでとこれからの縁の再確認と新たな出会いであったように、ぜひ長老から若者まで、男も女も、ともにいのちでつながる家族の一員として参加してくれますよう、お願いします。ウォークのことを核として、その一環として、誰かれとなく口に出たBIG MTN.ベネフィット・コンサート(支援チャリティコンサート)のことも共に、具体化できるようなミーティングの場にしたいと思います。つながるいのちの輪のなかで、ビッグマウンテンが地域、民族を超えたすべての聖地、すべての民の象徴として、すべての地域、すべての人の心のビッグマウンテンが解放されんことを願って。

FREE BIG MOUNTAIN !

美と調和とバランスの道の上を、共にいつまでも歩いてゆけますよう!つながるすべてのいのちのために!
MAY WE ALL WALK IN BEAUTY
ALL OUR RELATIONS,


Bahe Katenay  Bahe Yazzie Katenay <iindon49@hotmail.com>
 ネイティブ・アメリカン ディネ(ナバホ)民族。ビッグマウンテンで生まれ育ち、ディネの伝統を生活の中で学んできた。現在は、アリゾナ州フラッグスタッフに住んでいる。移住に反対する長老たちの声を伝え、最前線でストラグル(闘争)し続けている。

●帰国したバヒ氏から日本のみなさんへのメッセージへ●

●The Japan Times の記事へ●



1999年11月24日(水) 東京・西荻WENZスタジオにて