今ビッグマウンテンで起こっていることは、現代文明社会が地球の上の各地で行っている、人々に対して生きとし生けるもの更に自然界に対しての暴力的なまた非常に悪巧みな行為であるばかりでなく、それは自然の秩序に対する大いなる反逆である。それは全存在のバランスに関わるもので、そこからあらゆるネガティブな現象が際限なく起こってくる。それはボク達の心の内側にまで及んで来る。ただ単に昔へ返るというのではなく、それぞれボク達が生きる地球上の場、どこにいてもそこの場に根ざした伝統的な知恵に基づいた創造的な生き方を展開していかない限り、様々な災いが結果として起こるだろう事は、シロウト目に見てもまた本能的にももちろん科学的にも分かることだろう。

一個人の生き死にだけにとどまらず、多くの生命に及ぶものだ。
ビッグマウンテンとそこに住む人々にとって、今は本当に瀕死の状態にあると言ってもいいだろう。しかし彼らは、自分たちが被っている状況は、こういうことが世界各地に及べば自分達だけでなく世界中の人々生きとし生けるものに及ぶものであると言うのである。

彼らをサポートするということは政治的な抗議に限らず、ボク達が自然界の秩序を自分達の内に取り戻し、正しい生活を送らなくてはならないという事でもある。ボク達の子孫が正しく平和な生き方をするために、イタメツケられた生命環境を癒し、自然と共存可能な心と体を世代を超えて取り戻すために、今、与えられた少ない時間を捧げよう。

祭りが失われてきた・・・。中央集権、核家族化、高度経済成長、伝統芸能発表会、商工会のバカ騒ぎ、挙げ句の果てはマスコミテレビの一大マネートリップへと見る影もない無惨な姿になってしまった。しかし祭りは古来から、いや旧来から、いや始来から、いや始前から今も続いている。始まり以前と我々がつながっていることを体で魂で常に認識しておれるように、宇宙の慈悲によって設けられた儀式が祭りだ。

祭りは我々を清める、祭りは要求する、我々に捧げることを。我々は清められ、我々の日常、我々の関係、我々の心は始前を自覚し、草の人、木の人、鳥の人、獣の人、人々と共にこの大地に立てるのである。このような祭りを古来から守り伝え続けている人々が、地球上にはたくさんとは言えないが未だいる。そしてその人々の多くはビッグマウンテンがおかれている同じ状況にあると言える。我々の文化が既に失っているものを未だ守り続ける人々、しかし物質文化の犠牲となり、当然のごとく聖地を奪われていく…。これが我々が生きていくという事なのだろうか。

祭りはその場所、その時、その文化、その状況において様々に形を変える。しかしそれは始前から続いている。祭りは始前へ、繰り返し清められた心へ、日常へと我々を導く。古来からの道を守る人々に敬意を払い、その祭りの道をさらに未来へとつなぎ、限りない今を歩いて行こう。

ネットワーク、祭りの輪を、広げよう。