●ディネ長老たちとのインタビュー(Bahe)

サポーターの皆さん ごきげんよう。

 まず最初に、この情報が遅れたことを、申し訳なく思います。私は強制移住に抵抗し続けているディネの人々との正式なインタビュー、ミーティングで最近彼らが語った事を、英語に翻訳いたしました。ほぼ3ページにのぼる彼らの陳述を翻訳し終えたのですが、彼らの語った全てが素晴らしく力強いものなのでサポーターの皆さんと共に分かち合いたいと強く願う次第です。

 全文をタイプするには時間が限られている為、現在の状況に促した部分のみ抜粋いたしました。しかしながらサポーターの皆さんとディネの長老達の間で正式なミーティングがもたれていない事もあり、抵抗を続ける人々から直接話を聞く事が最も重要なことであると私は考える次第です。前もって述べておきたいのですが、それはしばしば彼ら強制移住に抵抗している人々の問題に対する抗議とはこうだという一致を見るための仮説に過ぎないという事です。このような例をあげてみましょう、アメリカ人のサポーター達の間では、しばしばこれら強制移住に抵抗するディネの人々は”アメリカ合衆国市民”であり、合衆国憲法は彼らの幸福を追求する権利において適用されると思われると想定されるのであります。

 彼ら抵抗するディネの人々の話を聞きつつ、彼らはアメリカ政府と正式に条約を結んでおり、彼らはひとつの現実の独立国家であるということをまず理解しよう。それから彼らが人としてどんな状況下であっても真に自由に生きた事を知ろう。あなたは彼らがいかに本物のインディアンとして生きているか、しかし彼らが憲法第一条の修正問題やアメリカ合衆国憲法のどんな包括問題についても何の知識もないことを読み知る事になるでしょう。

 これらの対話は1999年2月19、20日にありました。全ての会話は(書き取る事の出来ない)ディネ語にて行なわれそのディネ語のフレーズ、用語、引用句といったものを出来るだけそのニュアンスを崩さないように訳しました。長老たちの年齢は正式な記録もないので、はっきりしたことは判りません。より詳しく説明する為、又は重要な事柄を要約する為に彼らとの対話の翻訳全般に私の知る所もつけ加えておきました。最後に、全抜粋文をサポーターの皆さんに届けるためE-mailを発信すべきと思います。皆さん、受信の用意をお願いします。

****************************

(これらは唯一の例外です。ジェリーはおよそ47歳位でホピ分割区法にて両親と共に残ることを選んだ。)

ジェリー・レーン(以下JL)
1999年2月19日

 JL:なんだかんだといろいろ制限されてはいるが、私も兄弟達も 両親が今いる所に戻りたいと思っている。時々将来家を建てたいと思う場所を見渡すんだ。わしらのルーツはとても深くて古い からな。そうするんだ。まだ土地をならすような事すらしていないし、何も建てちゃいないけどな。BIA(合衆国インディアン局)は、しょっちゅうわしらが勝手に家を建てたりしてないかってわしらの行動を調べとるよ。

 BK(バヒ):子供の頃の思い出で『強制移住以前』にこの辺りに住んでいた家族の事を話してもらえるかな?

 JL:何人かは『政府の勝手に付けた名前』を知らんが大体の人の昔ながらのディネの名前は知っているな。まず、わしの叔父のキー・バビット、それからロイルドとローラ・スリムはこの 坂の下に住んでいた。ローラは わしの父方の叔母だ。『ビッグ・ジム』と彼の家族はここからまっすぐ北に住んでた。 Haastiin Bi'jaahni'ts'aazi(Mr.ストロング・レッグス)は、あっちに、彼の隣人はHaastiin Bi'ti'liihii'(Mr.レッドバロー)。キー・ヤジー・ホースの一家はワイルドホースポイントを 超えた高原に住んでいた。それから同じ辺りにわしのばあさんの 家族、名前はAaatsa'Dili'yiiginii(Mrs. ブラック・メサ)と言うんだがね、住んでいたよ。

 近所にボール・アリゾナとその家族も住んでいた。この谷の端の下方とそれからこの峡谷の入り口に3家族が住んでた;Haastiin Naakai's(Mr.メキシカーナChiiyee'li' Hoolonii's(結い上げた髪をしている人)Haastiin Bi'l'li'kiizhii's (Mr.スポテッドホース)だ。わしが話したこれらの家族の多くはわしの父方と母方の祖父母の親戚だ。その他のあっちこっちに散らばっている家族は叔父さんか叔母さんだ。沢山の年寄り達が死んで、ここらの峡谷や高原に埋葬されたよ。他の者達はどっかへ移住しちまった。それに彼らの子供達も沢山ここに埋葬されとるよ。わしの兄さんと弟もこの近くに埋葬されてるっていっとかないとな。なあ、わしの弟はこの丘のちょうど向こう側に埋められてるんだよ。それで弟の埋められているすぐ近くにわしらのホーガン(伝統的なディネの8角形の家)があったんだが、BIA があすこにあのフェンスを立ててわしらがあの土地を使うのを禁止しちまった。そうさ、あすこらの玉石のずっと下には、わしらの先祖が休んでる所があちこちにあるのさ。
(注:ディネの人々は誰か埋葬された者について語るとき『横たわっている』とは言わず、『胎児の格好をして休んでいる』と言う。昔の埋葬方法は、大きな玉石の下の小さい窪みに置くか、低くつるすかで 遺体は丸太やもっと多くの玉石で密閉される。)

 母親はわしらによく言ったもんだ。『あすこはおまえ達の祖父母や従兄弟や叔父さん、叔母さんの休んでいる所だからね』と。だからわしはあの辺りに敬意を払っとるし、石を記念碑と思っとる。ゆえにわしは自身の歴史を覚えとるのさ。わしの母さんはアメリカ合衆国のインディアン政策以前のここらの清く、変わることない生活のことを話すんだ。母さんは家畜の”大虐殺時代”のことを話すんだ。母さんの子供の頃の1934年のインディアン改革条例は強制的にディネの人々の自給自足生活を奪い去り、彼らを無理やり社会福祉に頼る生活にさせた。

 BIAとインディアン警察が馬、牛、山羊、ラバ、ロバ、羊の大量虐殺を行う為にありとあらゆる妨害を行った話がある。一つは、数千の羊と山羊をコロラド川に連れてゆき、その山羊や羊が溺れるように激流の中に追いやったんだ。何人かのディネの牧夫は彼らの家畜を取り戻せるかもしれないとあとを追ったのだが、この恐ろしい動物虐殺を目撃してしまったんだ。

*****************************

ロバータ・ブラックゴート(以下RB)

ビッグマウンテン、シン・ロックメサ地区

1999年2月19日

 ここからアメリカ社会そして国際社会に向けて、ここブラックメサにおける多くの不正を知ってもらうため彼らの協力を要請する運動を始めたんだ。私らディネはインディアン強制移住政策に対して抵抗することを宣言するのに一致団結しなけりゃならん。それに、合衆国第9番法廷は強制移住に反対している者達を裁判に召還しようとしているけれども、裁判長のアール・キャロルは『私は二言だけ聴こう!』と言った。あの人は署名しない人間がほんの二言で言いたいこと全部言えるんなら抗弁を聴く気なんだ。和解協約に署名した者の権利がBIA−ホピ司法局にあるって言ったね。だから署名しない者に裁判の協力要請をするってのも かなり奇妙だね、だって他にどんな権利を政府が私らに申し出てくれるっていうの? 私ら強制移住に抵抗してる者達や和解協約に署名してない者は『特権階級』なんてものを受ける身分には程遠いからね。

[翻訳者(BK)記:統治権についてはかなり長時間にわたるディスカッションがもたれた。今回のディスカッションでは、近頃 強制移住に抵抗する人々の権利に対する『コンサルタント』を自称する あるインディアンではないサポーターのことが持ち出された。ロバータもレナもこの代表適任者のことを心配していた。我々は皆統治権というものは本当に昔からその土地だけにおける問題でありインディアンである者だけがそれについて判断あるいは代表して意見を述べたりできると自認している。ロバータは以前、このインディアンではないサポーターに『伝統派の長老達を話し合わせましょう!』と言ったのだが、このサポーターはロバータの意見に反感を示したのである。統治権の存在は、ロバータとレナも認めるように、虹に囲まれたディネの国という古来よりの概念や、いかに長老達がそれぞれ聖なる山に連なる土地土地を守る番人としているかという事からも認められる。このような概念や宗教的慣例といったものはディネの人間によってこそ皆を代表して語れるのである。]

RB:ピーボディー[注;ブラックメサにあるピーボディー炭鉱で露天掘り等により乱開発され、汚染などが深刻である。]がやってるような私らの主権国の崩壊ったらなんだろうね。『私らの国を代表するにふさわしい者について話そうじゃないか。』部外者は私らの存在が儀式なんだって事を理解する必要があるね!取り囲んでいる虹はディネの国のホーガンの輪郭を表しているのさ。このホーガンの内部は儀式なんだ、ホーガンの西側の所に祈りを唱える者(メディスンパーソン、癒す人)と患者が座るんだ。私らの薬草の生えている近くでピーボディー西部石炭会社は ダイナマイトを爆破させて穴を掘っているんだ。この爆破は聖なる物を収めた祠や聖なる山の土で造られた祭壇なんかをガタガタさしたり揺さぶったりしてるんだ。それでも私らディネの命、そしてディネの国は『来るべき聖なる時(時代)』が巡り来るまで語り継がれねばならない聖なる詠唱に表されているように存続するんだ。石炭が山の女神(ナバホの山ーブラックメサの事)の肝臓だってことをわかっちゃいない人間が多いんだよ。

 近代化と進歩が推進力の鍵であり、それが最大限の利益を産み出す新たな開拓地を求めるんだ。こういう産業化は母なる大地を削って利益を得たんだ。そこで得た利益を不動産、開発計画、巨大なハイテク機械につぎ込んで大地をズタズタにしてしまうだろう。全ての貴重な天然資源が母なる大地の目の前で有害な機械に造りかえられそしてコンピューター化されたそれらの機械は、母なる大地の命が尽きるまで その大地を掘り起こすようにプログラムされるんだ。

 私らが皆 移住してしまったり、放っておいたりしたら私らが代々住んできたこの土地がこういう風にされてしまうと考えられるよ。だから私や仲間の者達が『ここに残る!』と言い続ける訳なんだ。私らのこの土地にどんなことが起こるかという恐ろしい夢を見たよ。私の夢は私に何かを語りかけている。それがふさぎこんでいる私を診に来たメディスンマン(癒す人、祈祷師)が言ったことさ。

 私らは教えというものに執着するようにせにゃならん。母親が子供の頭の上に棒っきれを振り上げて『薪を拾いに行くか、羊を集めるかしておいでさあ、今すぐに!』って言うみたいにね。親を敬っているならすぐさまやるだろう?

 残念な事にさ、そういうのは児童虐待だって言われるだろうさ。近頃の学校は現代っ子に教えるやり方になってる。私には親と子を離れ離れにしてるように見える。私らを見てごらん。レナとジョーンズは子供達と一緒にいないし、私だって子供達は皆この昔から住んでいる所から遠く離れて住んでいる。孫達もそういうアメリカ的な教育を受けてほとんど英語で話をするし、私らの文化も失われつつある。私らの本当の昔の習慣やなんかは今じゃ最近のインディアンらにかつての生活を思い描かせるためのものになっているのさ。

 私らみたいな昔からのディネの生き方を本当に知っている者は、このディネの土地でひっそりと昔ながらの生活を守っとる。政府のやつらは、私らにディネの昔ながらの生活をさせないようにしようとしているし、こうやって強制移住に抵抗してる日々もあっと言う間に過ぎ去っていくのさ。[RBの陳述終了]

************************

(レナは73歳位で、ホピ分割区のブラックメサの西の端っこに住んでいる。彼女もご主人も 和解協約の借地契約に署名するよう強いられているが、彼女の陳述が物語るように、まだ3エーカー以上の土地を求めている。)

レナ・バビットレーン、1999年2月19日

 子供の頃、私の祖父母はとうもろこし畑が実るといつも幸せだった。いろんなとうもろこし料理があったよ、それで祖父母は私ら皆を育て上げたんだ。良い野菜を食べて大きくなるのが一番いい事なんだろうね。祖父母が年老いて弱ってきた頃、アメリカ政府は彼らの土地や喜びまで制限しだした。そんな合衆国のインディアン政策が始まってから今までで、私らは一番ひどい時期を生きているんだ。1930年代にやられた私らの家畜の大量虐殺ほどひどいことはなかったよ。最近のBIAが行ってる私らの家畜の押収は、あの虐殺があった頃を思い出させるね。BIAは私らの家畜を押収する時に私らが連れて帰ろうと立って見てると、家畜を蹴り上げたり電撃を与えたりするんだ。1982年には、私の妹と私とが羊の虐待をやめさせようとしたら 婦警が私の指と腕をねじ上げたんだよ。それから、私は先に進んで脱臼させられた指をはめたけど、身体中打撲と傷だらけになったよ。政府の保険医に診断書を書いてくれるように頼んだら断られたよ。私の妹は その婦警に首を締められて窒息させられかけたから、その後長い事 首が痛んだんだ。政府の新しいインディアン政策は(進歩派)ホピ族に私の家の周りの新しくフェンスで囲った場所に沢山の牛を持ち込むのを許可してる。そういう新しい放牧場はかつて私らディネが繁栄していたところに間違いないと思うよ。(進歩派)ホピの人らがこんなにあっさりと欧米人の無知に馴染んでしまったのにはびっくりだね。これは無力な伝統派の老女の手や腕をねじ上げるようなBIAにもいえることさ。アメリカ人が新しく作った法律に力ずくで従わせようとしてるんだ。そうだよ、女性が暴行を受ける事件が沢山起こったけど、それは彼女らがディネの家長だからさ。私も3度BIAと、そういうもめごとがあったけど、一番最後は妹がホーガンの中で襲われたときに助けるためだった。BIAの法律では 私らが 薪や儀式の為のいろいろな葉っぱなんかを拾い集める事を禁止している。BIAは私らが儀式の為にどれだけそういうものを集める事が出来るかなんて指図できっこないね。私らの祈りには 浄化の為のお茶やスウェット(蒸し風呂の事、祈り等の前後などに身体を浄化するために入ったりする)に使ういろんな種類の植物が沢山必要なんだよある緑の葉っぱは、特別な聖なる場所から採ってこなきゃいけないから遠くまで出掛けなきゃならないんだ。聖なる処方は私らに健康を取り戻す為や私らの環境を回復する為に必要な量の草木なんかの量を教えてくれる。そういった草木を採る事を禁止してる政府の法律は 伝統的なメディスンピープル(癒しを行う人々)が減少した事に対して責任があるよ。
私らの儀式のやり方が邪魔されたって 私は昔ながらのこの土地に住んでいたいよ。そしたらいつか私らの子供達がディネ本来の生き方を復活させることができるだろ。私が振り返ってみたところ、政府が(進歩派の)ホピの人々をブラックメサの土地問題に利用するのに成功した時には;(進歩派の)ホピの人達は世界に向けてこう言うよ、”ディネの人らには、宗教がない--彼らはあっちこっちで手に入れたものを自分達の信仰だって呼んでるんだ。”ってね。だから私は尋ねるんだ いったいどこから私らディネは古代の砂絵の歌を得たんだろうね?水晶の歌はどこから?古来の鉱物が突出してる所の鉱物学や野生の山の羊の歌、野生の山の山羊の歌、野生の大昔の馬の歌といったものは誰から知識や使い方を得たっていうんだろ?今すぐ欧米人の科学者達に私の質問に答えさせられるかい?[一般に歌・祈りである。]

**********************

レナ・バビット レーン(RBL)1999年2月19日(つづき)

合衆国議会が(進歩派の)ホピに、この『石炭の国』の土地全部の所有権を認めた時、その進歩派のホピの人達は また言ったよ。:『ディネは神を持たない。』とね。だから私ももう一度尋ねるのさ。ここで何があったっての?あの人達は人を取り巻くものが見えないのかね?毎日 太陽は東からのぼり、西に沈む。そして夕暮れは漆黒の闇に変わる。夜は心安らかに休息を取るために、そして夜が明けるとグレートスピリット(大いなる大霊)は 私達に目覚めるように呼びかける。これこそ神聖なるサイクル(循環)ってものだろ?母なる大地を見てごらん。大地が私達に与えてくれた水が目に入るだろう、おかげで羊も馬も水を飲む事が出来る。これこそが清浄なる、聖なることなんだ!水は私らに喜び、命をもたらす、そしてその水を飲んだものを幸せにするだろう。大気をごらん。いろんな雲が大地を豊かに潤しに来る。でも今じゃそんな潤いはやってこない。たぶん何かが神聖なるサイクルをおろそかにしたり、邪魔したりしたんだよ。母なる大地を貪欲にどんどん開拓したりするようなことをね。BIAのインディアン達は昔ながらの伝統的な生き方なんてもう何の値打ちもないと思っているから、私らに反対してるんだと思うようになったよ。ディネの国を囲むフォーコーナー(四隅)である四つの聖なる山で(進歩派)ホピの人らが、どこか人目につかない所に隠れててBIA私らディネの家畜を虐待するのを許してるんだ。この人達は、ただの隣の国の人達ってわけじゃなくお互いに文化交流する間柄なんだ。だからお隣さん同士でこんな虐待を許すべきじゃないんだよ。このフォーコーナーで生きる上で 聖なる生き方に対する冒とくだよ。これらの進歩派のホピって何者だい?一体誰が産んだんだい?あの人達の母親は喋べれないんだろう、父親は考えるって事が出来ないに違いないよ!あの人達の両親には目も鼻もないにちがいない。用があるから鼻は 顔から突き出てるんだ。目も耳も使うためにあるんだ。だから創造主は それらをつけたんだよ。耳ってものはね、私らがまちがいを犯しそうになったら、創造主の呼びかけを聴くように、従うようにと戒めるんだよ、そのためにあるんだ。そういうことだからさ、どうしてホピの人達はBIAが不法な事しているのを許しているのかと思うね?汝の隣人に神はいない、なんていうのは 間違いだよ!私らディネが神聖な生き方をしてないとか、大地に対して愛着を持ってないとかどうして言えるんだろうね (進歩派の)ホピの人達だって血の通った人間なんだろ?私らディネは大地に愛着があるさ。神がいなければ 大地に生物はいないだろう、なんにもいないだろう、私らディネは創造主の意に従って生きてきた。”私は歩む、古来の教えに従って…”と、始まる古い物語を詠うメディスンマンのように。だから、どうして(進歩派の)ホピは私らディネをつらい目に会わすBIAに味方するんだろう、ホピの長老たちは今でも癒しの歌を唄ったり、祈ったりしているんだろうか?それとも彼らもホピ族長老の平和の歌に背いた行為をしているのだろうか?(進歩派の)ホピやBIAが私らディネの家畜を奪い続けているから、私らの古来よりの祈りが崩壊しつつある。私らには、良いとうもろこしを作付けしたり、お供えするとうもろこしの花粉を用意する時間がない。この花粉は、大地が生まれてから現在までに生まれた生き物を象徴していて、私らは、お祈りをするときの神への奉げ物として使うんだよ。私らが恐れているからといってどうしてBIAとホピが、自分達が神であるかのようにふるまえるんだろうね?一体全体、どこで、あんな悪意に満ちた心を持つようになってしまったんだろう?インディアンであるということは、年長者を敬う心を持っているってことだよ。だからこそ、私らは年長の者を『お母さん、お父さん』って呼ぶんだ。私らは いつだって、たとえ自分の子供でなくても、哀れな子供には愛情を注ぐ。人を人と思わないような世界になってしまっていいものかい?ほんとに何だってディネには、こんなに辛い日々が続くんだろう?いつまでこんな状況で暮らしていかなきゃならないんだろう?
[RBLの陳述終了]

*****************************

キャサリン・スミス(以下KS)85歳位、ビックマウンテンの南東の麓に住む。 1999年 2月20日

今朝ちょうど30分程前に BIA警察が来たよ。誰かが車でやって来るのが聞こえたように思って、私をミーティングに連れていく為に娘がやってきたんだと思ったんだよ。それからドアをノックするのが聞こえたんで“どうぞ”っていったんだ。驚いた事に、二人の警官が入ってきたんだ。一人は通訳でもう一人は年配の巡査だった。通訳の方の巡査が ’あんたが元気にやってるかと思って’来たって言ったんだ。で、私は“私は元気さ。ここじゃ平和にやってるよ。政府の職員を捜してライフル持ってうろうろするつもりはないね。でも孫よ(バヒに呼びかけてこう呼ぶ)思いがけず お前達が尋ねてくるなんてね。フェンスを張ってた奴らに向けてた あの古いライフルは今でも私の傍にあるよ。

 BK:あの木の台座のまわりがbailing wire (訳不明)で覆われた旧式の22口径のライフルの事? あなたがA-I-Mって台座に彫ったライフルの事?

 KS:そうそう。持ってはいるけど置きっぱなしでね。サポーターの一人が台座を修理したほうがいいって言ったんで 彼に渡したんだ。すぐに新しい木製の台座にして返してくれたんで撃ってみたけど前と同じ位に撃つ事が出来るよ。

[記:キャサリンは1980年の初夏に起こった或る出来事を思い出していた。私とインディアンではないサポーターのディビッド・マックェードは、キャサリンの家から10マイルほどのBIAによるフェンスの取り付けの進行状況を監視していた。アリス・べナリーの家の近くを車で走っている時、ナバホ・ネーション(ナバホの国)の車が道路脇に止まっているのに気づいた。私達は その『公用車』の後ろに車を止めた。それは偽の(遊びの、しゃれの)職員で その辺りに住んでいる何人かの人達の要望でいるのだと聞いたことがあった。その人が言うには、キャサリンが増えつづけるコヨーテにもっと仕掛ける罠の場所をあれこれ彼に指図してる間 ただ一緒にコーヒーを飲んだだけだということだった。それから彼は『キャサリンは "BIAというコヨーテ" とやりあう気でいた。ライフルも準備していたよ。』と言った。

 私はキャサリンが歩いていると思われる辺りを双眼鏡で覗ける場所に車を駆った。ちょっとしたグリースウッドの茂みの間の平坦な所に、煌く蜃気楼を通して伝統的な格好をしたディネの女性の姿が認められた。彼女はフェンスを設置してる場所から5マイルの所にいた。あわてて私は彼女の所まで車を走らせ、彼女に出会った。近づいていくにつれ、私達は彼女がライフルを抱えているのに気付いた、そしてたぶん 私達に何かを言うつもりで、こちらに振り向いた。彼女を落ち着かせるため歩いて彼女に近づいた。彼女は無表情だったが、真昼の太陽の元 額に汗を滲ませていた。腰に長い布(エプロン?)を巻いていて その帯の所に弾薬を1ケースはさんでいた。低く、怒りのこもった口調で彼女は言った、”’悪いコヨーテ(BIA、フェンスを設置してる作業員達の事)’の一団が私らを襲った!あいつらを蹴散らしてやる。”私はフェンスを立てている作業員達が忙しく働いていて、まもなく自分達にどんなことがふりかかってくるかに気付いていない事を知った。”おばあちゃん、何か手伝おうか?”と私は言った。”いらないよ!”と彼女は声を張り上げて言って続けた。”こうゆう状況だ。警察はあんた達が私と一緒にいるのを見て 攻撃してくるよ。まずあんた達を撃つとしてもね!”偉大なるチーフ(酋長)のように彼女は我々に言った。”あんた達は近所の人達に、私がここで何かしようとしてるって事を皆に知らせるように言うんだ。たぶんね、私がうまくやるか奴らがやりたいようにやるかだ。すぐにいかないと私は あの’悪いコヨーテ達’ん所に すぐ近づいちゃうよ。”この緊急事態の連絡をしたあとすぐさま我々はフェンス取り付け工事中の所に取って返した。我々が到着すると、フェンスの作業員達は5つばかりのBIA警察の一団にとってかわっていなくなっていた。5台の警察の車がキャサリンの家に面したところに止っていて 彼女は玄関の所に、そして二人の警官が彼女から ちょっと離れたところに立っていた。彼女はライフルをかまえていたが その二人の警官を狙ってはいなかった。我々が車から出ようとしたのに従って他の警官達が動き出したのに気付いて’ああっ!’と私は思った。警官はそれぞれ銃を手に持ち、少なくとも二人が背後にM-16自動小銃を持っていた。最悪の事態に備えて キャサリンの傍に行きたかったのだが、私が近づくと彼女は黙って見ているように言った。重装備したBIA警察分隊長は通訳を通じてキャサリンにライフルを下ろしてくれないかと頼んだ。それで彼らは問題について話し合う事ができた。キャサリンはBIAが長い事インディアンの国を侵し続けていると述べ続けた。それから警官同士がちょっと話し合ってる間にキャサリンは私に一体何が起こったのか語り始めた。”私がここに着いてフェンスの作業員に’仕事をやめな!その悪意の塊(フェンスの事)をもとあった場所に持って帰っておくれ’と叫んだんだ。何人かは笑い出したからディネだったようだ、で 一人がいいかえしてきて、’いらぬお世話はいいから、自分のやり方でプレーリードッグを探しな。’ってね。で、私は゜私はあんた達みたいな悪いコヨーテを狩りに来たんだ。’って言ったんだ。それで私がライフルを構えると 笑い声が消えて 奴らはあわてふためいてトラックに戻っていった。私は空に向かって一発撃って、奴らの頭上に向かってもう2発撃ったんだ。”出来事について説明し終わると 彼女は笑い出した。”2,3人の作業員は ひっくり返って泥ん中に頭を突っ込んでたし、他の連中も もう泣きそうだったよ。”この時点でキャサリンは我々に”さて、あんた達二人共ここにいる。”といって(我々に)よそよそしくするのをやめようと決めた。大男の分隊長が通訳と戻ってきて つわものの老女と交渉を始めた。キャサリンは自分を取り巻くこの現状について語り始めたのだが それを見ていると合衆国の張りつけのキリスト像(あるいは受難?)前に立つネズパース族のチーフ ジョセフの有名な絵画が思い出された。キャサリンは かなり怒っている様子で、それも伝統派インディアンが武装した政府の人間にライフルを向けているというめったにみられないようないでたちで警官に向かっていった。キャサリンは”OK!私を捕虜として連れていきな、だって私は合衆国政府と戦うんだからね。”と英語で声を上げて言った。さらに分隊長の両目を自身たっぷりにぐっと睨みつけながらディネ語で言った。”さあ!”彼女は突然その分隊長のでっぷりとした腹にライフルを突きたてて、”あんたはこのライフルが すごく欲しいんだろ、私から奪っていってあんたの’ばかばかしい’財産の一つに加えな!”と言った。そのでかい警官は お腹から銃身をはね返して掴んだ。平静を保とうとしながら彼はライフルを上向きに持ち上げ、まだ弾が入っているか見る為に撃鉄を起こした。未使用の弾丸が薬室から飛び出し、分隊長が大きなため息をついて気絶しそうになっているのに気付いた。

 キャサリンは“正規のものではない、インディアンをつるし上げる為の裁判”を受け、1981年の初めに立ち退かされた。1980年同夏に私とディビット・マックウェードは同じBIAの警官達に殴られ、逮捕された。

 あとで その夏に、アリス・べナリーと彼女の三人の娘達が暴行及び政府の地所を荒らしたとして 逮捕された。ナバホ国では、1993年までビッグマウンテン地区においては実際に土地を仕切るフェンスは設置されることはなかったが次々に起こる事件(訴訟)の弁護士達とBIAがSDN(どう訳しましょう?)サバイバルキャンプをひれつなやり方で崩しにかかった。

キャサリン・スミス、1999年2月20日

 私ら伝統派の年寄りは、私らの考えや、感じた事を(文字に)書き留める事は出来ない。私自身は言いたい事を絵にしてみた。この布に描いたんだ。これがこの絵が言ってることだよ:かつてディネとホピは文化的に親戚関係にあった。ディネとホピは多くを分かち合い、歴史を通じて多くを共有したものだ。ある日ディネがホピの友人を訪ねたが友人の口は動かず、つまり閉じられていた。そのホピはいつものようにディネを家の中に招くというそぶりすら見せなかった。
ディネは困惑し、こんな奇妙な事がどうして起こったのだろう?と思った。
何が起こったのか。それは陰謀であった。
ここではコヨーテが陰謀を企てたものを表していて、彼は特別な法律を立案した。その法律こそ 陰謀を企てた者がここで握っているものであり、この新しい法律はこの企みのもと、目一杯広大な土地を選び出していた。この土地は1977年のホピ分割地法(HPL)という形でホピ分割区として在ることに注目して欲しい。しかし、なぜここなのか? 何をしようというのか?この土地は100年近く前にホピ分割区地に選ばれ極めて巧妙にしくまれた陰謀によりHPL法は現実のものとされた。このこじつけに加えてあるのがディネの国の借地にある鉱物のことであり、ジョン・コリアーによる1930年のインディアン再編成条例である。

この絵の結びの部分に描かれている事、それはこの陰謀により ホピ、ディネの両部族が共に 大量の鉱物資源を獲得せんとする事の虜になるよう仕組まれたという事だ。その鉱物資源がインディアンのものとなることはないだろう。もっともコストがかからないやり方でエネルギー会社のものとなるのであろう。すなわちインディアンの血と汗(労働力)によってね。
この車椅子のインディアンは ウラニウムを運ぶ仕事をしており、放射能汚染によって身体が不自由になったがそれでもウラニウムを抽出する仕事をしたいと願っている。そのエネルギーサイクル(循環)の最後にいるのがアメリカ政府とその政府がらみの多国籍企業の会社で何百万倍もの利益を得てるんだ。これこそが、私が思うに強制移住の理由の全てであり、ディネとホピの間の土地論争における公平さをきす為という理由で強制移住があるのではないと思う。

キャサリン・スミスによる陳述の終わりと追加の記載:

[皆さんの支援と祈りに感謝を込めて。バルボンチートの心にて、バヒ]

**************************

この手紙は強制移住と戦っている人々による陳述に関しての追加の情報と私(バヒ)のちょっとしたコメントを追加したものです。

今までの陳述をした長老達はサポーターや、当事者、そして前記の人権侵害を行った被告人達に向けて 声明を送るつもりです。彼らが言うように、“さあ、私らの言葉を分かとう。そうすれば遠くかなたまで伝わろう。”それからレナが述べたような事もあります、“さあ、私の子供達よあんた達が聞きたかったことは私達の問題なんだ。”ほとんどの長老達は 自分達の若者をそう呼ぶようにサポーターを彼らの子供達と呼びます。それに、宗教的な意味合いもあって、白人はグレートスピリットの子供達としてみなされており、それゆえ その関係から“私の子供達”と 呼ぶのであります。

サポーターの皆さんについては レナ、ロバータ、ウイリアム・ビゲイ Sr.皆が サポーターがいてくれると不安や孤独が 癒されると言っている。
”移住してしまった親戚達は 羊の肉なんかを’ギブアウェイ(無料で人に与える事)’で欲しい時でもなければもう尋ねてこないよ。私らの子供達でさえ,随分と長いこと出ていったきりで ただ静寂があるのみさ。だからインディアンでないサポーター達が来て羊追いなんかを手伝ってくれたり、家事をしてくれたりすると私らの生活も楽しくなるってもんさ。”と言っている。

それからこれらのインタビューは 私のスェーデン訪問そして滞在を可能にしてくれたスェーデンのサポートグループのおかげで可能になった。彼らの素晴らしいサポートに感謝したい。
私は交通手段及び資金の不足により、サポーターの皆さんのご協力に負うところが大変大きいです。

最後にもう一度、どうぞ皆さんが彼らの陳述を受け取ったことを知らせてください。

次回まで、ありがとう 皆さん。

バルボンチートの心にて、バヒ

(翻訳:YOKO)


TLS-09